2011年06月18日

死ぬってアトラクションだよ。

映画が始まるまで時間があったので本屋で立ち読みをしました。
そこで私は何故か内田裕也の本を手にとってパラパラと読み始めました。
この人がどんな人か知ったのは本当ここ数年前で、
毎年テレビで放送しているニューイヤーロックフェスティバルを笑いながら見ている程度で、特にファンでもないけど、でも何だか存在自体が面白いので見てしまうのです。
そして内田裕也の本に書いてあったある言葉が何だか素敵で、ずっと頭の中に残っていました。


この日は『BIUTIFUL ビューティフル』という映画を見ました。
「癌で余命2ヶ月を宣告された男の話」
と聞くと死ぬ前に何か素晴らしい行動でもするのかしら?とか感動的な事が沢山あるのかしらと思いますが、私もそう思って挑みましたがそれがちょっと違って。
この男は非合法な仕事をしたり、イタコみたいな仕事をして日々の生活の糧にし、決して裕福ではないけど2人の子供と3人で暮らしています。
そして死を宣告されても、まともな職につく訳でもなく今までと同じ生活をして、それでも子供、別れた奥さんには優しくなったように感じるけど、これが決して上手く行かず。
よかれと思い行った事がとんでもない悲惨な事件が起き、優しくした人にはとんでもない裏切りにあい何もかもまったくもって上手く行かない。
映画のような感動的だったり奇跡的な事なんて本当の人生にはおきる訳はないんだよ。
それに映画の題名『BIUTIFUL』スペルが間違っているよ。
ねぇ、何が美しいのよって思うけど、私にはこのどうしょうもない現実、もがき苦しむ姿が美しく感じたのよ。
かっこ良くて頭が良くて仕事も出来る、そんな人の感動的な物語なんて綺麗事ばかりで、もういいよと思う。現実、立派な人なんてそんなにいないんだよ。
みんな何かが欠落して、心には辛い事沢山あって、それでも死が来るまで楽しい事沢山見つけて暮らして行く。ただただそんな日常の繰り返し。
でもね、この映画、私は見終わって何だか暖かい気持ちになったんだ。

あと、映像もそうだけど、音楽と音の使い方が本当に素晴らしくて、2時間以上もある映画なのに全くあきもせず、もうスクリーンの四隅まで隈無く念入りに見入ってしまいました。



私が『死』を意識するようになったのは両親が死んでから。
それから時が経ち感じた事は、死をいつも身近に感じて生きていくべきなんだという事。
死を恐れて生きて行くのではなくて、いつも死と一緒に、身近に、戯れるくらいに生きて行く事で、思いっきり生きる事ができると思うようになったのです。
死以外でも、いつか来る怖い事を、恐れて生きるなんてバカらしいんだよ。
だから私にとっては死ぬ事がとても楽しみで、そりゃ死ぬと分かったら恐怖でチビッたり、悪あがきをしてみっともなくなると思うけど、死は何処かの夢の国といわれる、なんたらランドより何百倍楽しいアトラクションなんだ。



内田裕也が言っていた言葉、

「死に対していつだってオレは、『こんにちは』と言う」

この言葉、映画を見た後の私にとてもしっくり、ぴったりときたんだ。
posted by kyoko at 02:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月09日

普通が特別な日々はまだ続くのです。

わざとらしい青空が来る前の梅雨が好きです。
好きって感じたのはここ最近で、だって春がきて直ぐに押し付けがましい夏が来たらアジサイも蝸牛もカエルもナメクジも皆干涸びて死んでしまいます。
車にひかれ、仰向けになりペタっと道路にはりついてしまっても、雨に打たれながら最後に見る空はグレーの方がいいよね。遠慮知らずのギラギラ太陽は眩しすぎるよねカエルちゃん。

ねぇ、こんなに寒くて夏は来ないのかしら?と一瞬心配させるような、思わせぶりな女のようなお天気。
そんな肌寒い雨の日にヒカシューのライブに行ってきました。
この数時間がとても大切な宝物ように感じました。
そして聞こえてくる音も詩も震災前とはなんだか違って聞こえてきました。
特に詩の意味が、あの日を境に違った意味も含んでいるように聞こえます。
そのライブでは「地震があってから今まで自分たちがやって来た事がなんだったのかと思うとやる気がなくなった」と言っていました。
そういえば他のミュージシャンの方も詩が書けなくなったとか言っていました。
何かを創る人はやっぱりデリケートなのね。
私なんて4月に個展があるのでデリケートになる暇が無かったのか、私が図太いのか「描けない」というのは全く無くて、切羽詰まってはいたけど、「こんな時に絵なんて描いて良いのかしら」から「こんな時に絵を描ける私ってなんて幸せなんだろう!贅沢なんだろう!」という感情一杯で描いてました。
計画停電や節電で凍えながら、それでも寒くても電気がなくても幸せだよ。
今、私は誰の役に立たない無駄な事をやっているよ。でもね無駄な事が出来るってとても幸せな事なんだよ。

朝、電車に乗ると物凄く込んでいて、計画停電や節電で電車のダイヤが乱れているからみんな何時間も早く家を出たりしているんだよ。不安な事が沢山あるのに、そんな時だってちゃんと会社に行き働いている。前だったら至って普通の事なのに、皆凄いやと感動したのを今でもはっきりと覚えています。
普通な事が特別に感じる日々。本当はそんな風に感じない方が平和なんだろうけど暫くはまだまだそう感じて行くのだと思います。


ホームページに個展の絵をアップしました。
お暇でしたら是非是非覗いてみて下さい。
posted by kyoko at 02:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月01日

新幹線に乗ってさようなら

空が瞳の中にじわじわと溶けてくる
瞳から身体に空が溶け込んで、
色んな色が混ざり合って心にたどり着く。
その色は人の心の分だけ何色もあって悲しい気分のときは悲しい青になる。
暖かくて雲一つない青空でも悲しい青になる。
母が死んだ日はそんな雲一つない暖かい日だった。
庭の芝生はとても青青してて芝生の先っぽの小さな玉が光に反射してキラキラ綺麗だった。
私の中にキラキラが入ってきて、でも私はなんの抵抗もしないで
ただただ暖かい日だまりに身を委ねているだけ。
キラキラは空っぽの心をしとしとと濡らす。
母の死に顔を見た時、涙は全く出なかった。
家に帰る新幹線の中の45分、色んな青が瞳から体中をもの凄い早さで駆け巡り、
全身の血液は涙になって走り回る。
だから悲しみの半分は剥き出しのまま新幹線の中にそのまま置いて行った。
剥き出しの悲しみは新幹線に乗って新潟のどこか知らない街にたどり着く。
海の近くの駅だったらいいなと思う。
カモメがパクリと食べてくれて、青い空を飛び回る。
もしも親切な誰かが、私の悲しい忘れ物を駅の忘れ物置き場に届けたとしても、
私はもうそれを取り戻しには行く気はない。
忘れ物置き場にはきっとそんな忘れ物が沢山あるだろうから、
私の悲しい忘れ物も寂しくないだろうと思う。
悲しい忘れ物達は肩寄せ合い、そこでずっと待っている。
持ち主をではなく塩辛い乾いた風を待っている。
風にのって、空に帰る日を待っている。

今日は母の命日で、東京の空は優しい青だった。
空のずっと上の方に白い鳥が天に向かって飛んでいた。
雲の隙間から光の線が沢山降りてきて
キラキラとした光が私の周りで回っている。
あのときの芝生と同じキラキラだった。

posted by kyoko at 23:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幽霊なのでしょうか?

5月31日は母親の命日で6月1日は母親の誕生日です。
5月30日の夕方、私はなんだか疲れてしまって横になって少しだけ寝ようと思いました。
うとうとと眠りに入ろうとするぎりぎりの時、部屋に誰かが入って来て覗いているような気がしました。
私は「あ〜そうだ、明日は母親の命日だ」と思い出しました。
すっかり命日を忘れてしまった薄情者の娘を見に来たのかもしれません。

31日私は出かけていました。
家に帰ったら夫が「今日部屋に黒い影がすーと歩いていたよ」
と言っていました。怖い感じは全くしなかったみたいです。
私も夫も霊感はありませんが、「お母さんが来たんだ」と勝手に思い込み喜んでいました。
慌てて母の好きだった物を買いお供えをしました。
posted by kyoko at 23:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

零れ宇宙はまだまだ続きがあります。

28日はとても良い天気で、マンションの階段に太陽の光がさんさんとふりそそいでいて、毎年暖かくなるとムクムクと虫が階段に上ってきます。
この日も虫さんが数匹上って来て「虫さんお早う!久しぶり」と挨拶して出かけました。
道路脇のお花達にも挨拶して、何だかこの世の命ある物全てが愛おしく感じる春!嬉しい春!
この道を行くと天国にたどり着くのではないかしらと思う程素敵な光景。
こんなにも素敵な日に私の個展の最終日を無事迎える事ができました。
こんなに心が穏やかに最終日を迎える事ができるなんて、少なくても50日前のあの夜は考えもしませんでした。
あの地震で東京なんてたいした被害も無かったし、何言っているんだ!と思われるかもしれないけど東京は東京でみんな物凄くショックを受け、悲しんだり落胆したりしたあっという間の日々でした。
福島の人は東京の電気の為に犠牲になっている、だから責めて節電をと思い暖房付けずに描きました。
なんでこんな事になってしまったのだろうと悲しくて泣きながら描きました。
大好きな福島、年末年始は毎年過ごしていた福島、駅も商店街も水没したよと聞いてとても悲しかったし辛かった。
だけど描いた絵は悲しさや苦しさの微塵もなく、明るい絵が沢山描けて、絵に心は反映しないんだと安心しました。
それか、どんなに悲しんでいても心の何処かには未来は絶対に光り輝いているよ!と確信しているからかもしれないです。

本当に沢山の方に逢えてとても幸せでした。
わざわざ見に来て頂いた方々、
見に来れなかったけど気にかけて頂いた方々、
個展の機会を与えて頂いたマルプさん、
本当にありがとうございました。
皆さんの一言一言から沢山の嬉しいを頂きました。
「怪しいね」「面白いね」と言ってもらえました。
私は母親のお腹からでてオギャーと産声をあげた瞬間から皆に「面白いね」と言われる為に生きてきました。
頭がいいねとか、可愛いねなどの褒め言葉より「面白いね」とだけ言われるのが何よりも嬉しいです。
もっと面白い絵が描けるように頑張ります。
本当にありがとうございました。


個展の様子や絵を後ほどホームページにアップします。
PICT0013.JPG
posted by kyoko at 00:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月29日

個展の詳細です。(赤字で追記があります)

dm.jpg

マルプギャラリー第17回企画展
11年4月1日(金)〜4月28日(木)


「零れ宇宙」弘田京子展
頭の裏側覗いて見たくて
みかんの皮みたいにペロっとむいて
ひっくり返して零れた宇宙
不思議だな、気になるな、安心できないな、
そんな絵を描きました。
大好きな家達も描きました。


土日祝日はお休みです。
マルプギャラリーさんのホームページはこちらです。
地図はこちらです

※ご注意:節電の為ギャラリーの電気を消しているので、防犯上、玄関の鍵を閉めています。お手数ですがギャラリーにお越しの方はチャイムを鳴らして下さい。
ご不便をおかけして申し訳ございません。


●作家在廊
28(木)13:00〜17:00

●特別開廊(作家在廊)
4/9(土)13:00〜18:00
4/16(土)14:00〜17:00(この日にお茶会を開きたいと思います)
4/23(土)13:00〜18:00

土日祝日はお休みですが上記の日時は在廊する予定です。
他に在廊日が決まりましたらこちらのブログでお知らせします。

4/16(土)14:00〜17:00
お茶会を開きたいと思います。皆様参加して頂けたらとても嬉しいです。



もちろん上記の日程以外でもお知らせして頂ければ在廊しますのでお気軽に下記までご連絡下さい。
DMを送って欲しいという方も喜んで送りますのでご連絡下さい。
(個展にこれないという方も喜んで送ります。)
hirokyon69-ufo★yahoo.co.jp
「★」は「@」にしてお願いします。


私たち人間も宇宙の一部。
なんだか私はそれを忘れていたような気がします。
どうにもならない災害、そしていつか来る地球滅亡の日。
宇宙のグルグルに身を委ね、いつでも鼻歌まじりで暮らしていたいな。


posted by kyoko at 00:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月18日

ありがとうございました。

土曜日のお茶会に沢山の方に参加して頂き本当に有り難うございました。
当日、地震があったり、少なくても放射能がまっている中来て頂いて本当に感謝しております。
あの地震があってから戦争中までとはいいませんが、いつ何があるか分かりませんので人と逢う事の大切さを感じてます。
正直言うと絵なんて見てもらわなくてもよくて、こういう風に皆と逢えて素敵な笑顔を見れた事が本当に嬉しかったです。
皆に逢えるので、沢山の知り合いに個展をして貰いたいです。

そして、当日暑かったのに暖かい飲み物ばかり用意してしまって反省もしてます。
私の妖艶な色気で接待したかったのですがそれも出来ず、にも関わらず
当日のドレスコードは作ったつもりは無いのですが胸元を開けて来て頂いたので目の保養になって幸せでした。

沢山ありがとうございました。
posted by kyoko at 12:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月13日

愕然とした春

今まで生きて来て一度も選挙に行った事ない夫ですら先日の都知事選に行きました。
そして愕然としました。
いくらご高齢の方の票には敵わなかったとしても、これが都民が出した答えなんです。
皆、真実なんて知りたいと思っていないし、どうでも良いと思っているんだ。
自分の頭の中に勝手に築いた理想的な事を疑いたくないし、崩したくないんだと強く感じました。
以前義母は「国がなんとかしてくれるわ」と本気で言っていて、
テレビの言う事が本当で、それを疑うという事は全くしません。
ある意味純粋で、その純粋が沢山になると、それはとても恐ろしい純粋だなと感じました。

日曜日、高円寺に行ったら駅前は凄い人で、殆どが若者で反原発のデモを行っていました。
私は今でもそうですがデモを行って本当に何か変わるのだろうか?と思っています。
だけど若者は今回の原発でいてもたってもいられない、その気持ちは私も同じです。
そして、テレビのニュースではデモはあまり取り扱いません。
これも不思議でなりません。
ミュージシャンが原発の事をわかり易い言葉で歌ったのも凄いなと思いました。
私はデモも、こんな曲を歌っても直ぐには何も変わらないとは思いますが、一人でも多くこのような事を知って色々考えたり、真実を知ろうとしたら、近い将来今回のような選挙結果にはならないと思っています。
だから意味がないと感じてもこういう事は主張しなくてはいけないのです。
だから私も原発の歌を作って夫に聞かせました。
良い歌だと言ってもらえました。

テレビで説明している原発保安院の人は明らかにカツラと分かる髪型をしています。
自分の禿頭を必死に隠して騙したと思っているのかしら。
あなた達が禿頭だという事も、本当の事を隠しているという事も国民皆分かっているんだよ。
なんだかダサイなと思いました。
こうなったら一人一人の人間性の問題です。
もっとカッコいい自分の美学をもって生きて欲しいです。

なんだかんだ言っても日本という国は好きでしたが、今は好きとは言えません。
日本はいったいどうなっているのですか?私に教えて欲しいです。
まるで悪魔と契約したみたいです。
まるで何かに取り憑かれたようです。
でも私たちは騙されていると知っていても、洗脳されていると知っていても頑張って生きて行かなければなりません。
働かなくてはなりません。
それなのに何だかバカにされているので悲しくもなります。

悲しすぎて愕然とした春、絵をもっと頑張ろうと思いました。



posted by kyoko at 00:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

憧れているんだと思います。

先日見た「Freak Out」もそうだけど今年に入ってからミュージシャンのドキュメンタリーばかり見ています。

映画館では
『友川カズキ 花々の過失』
『bloodthirsty butchers kocorono』
『たまの映画』

DVD
『悪魔とダニエル・ジョンストン』
『アナーキー』


それで分かったのですがこれらのミュージシャンの多くはある意味世捨て人なんです。
歯が抜け落ちている率が高いのです。
でもそんなのはどうってこと無い人なんです。
俗社会の事はどうでも良くて自分のやりたい事だけやっていて
何処までも子供で純粋でこれしか出来る事が無いくらい不器用なんです。
私は音楽がとても好きで、なんで私は音楽をやっていないのだろうと思うのですが、
こういった貫いている人の事を尊敬して憧れているんだなと見ていて思いました。

見ていてとてもヒリヒリとしました。
アーティストってこういう事を言うのだなと思いました。
友川カズキさんは「最初自分には才能があると思っていたけど、だんだんと才能がないと分かって来た。でもそれでも駄作を作る。駄作、駄作、駄作ばかりでもいいんだよ」
と言ってました。
こんなにも才能があるのに、何で?と思うのだけど「才能がない」と本気で思っているから凄い詩が、曲が出来るんだろうなと思いました。


あるミュージシャンの方が「音楽でお金儲けするには誠実さをすてなければいけない」と言っていました。
歯を直すお金もないミュージシャンは貧乏でも誠実なのかしら。
お金がなくて直していないのでは無くて、そんな事はどうでもよいのかもだけど、
そうできる物を持つって辛くて苦しい事もあるだろうけど、カッコいいなと思います。
posted by kyoko at 01:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月07日

Freak Out

昼の平日だからしょうがないのかしら?
でも私を含め5人しかいない映画は久しぶりで、
高校生の時、授業をさぼって見たポーキーズの時は2人だったからそれよりはましかしら。
でももったいないすぎるよ、みんな見ないとと思ったよ、ドキュメンタリー映画「Freak Out」。

富士宮市にあるお寺には3人の脳障害をもつ清僧さんがいます。
修行をちゃんとしているのかは分からないけど喧嘩したり、絵を描いたり、音楽やったりして過ごしてます。
この3人の清僧さんの噛み合ないやり取りもかなり面白いのです。
脳障害の人の会話はお笑いに通じる所があって、それが計算して出来るかどうかという事の違いなのだけど、Mrビーンだって大人がちょっと足りない子供みたいな事をして笑わせているように。
この清僧さんたちは「昭和のいるこいる」のような適当なやり取りが続くのです。
それが面白くて、可愛らしくて、面白くて。

そしてここの2代目住職は元ミュージシャンで、木魚を叩いているこの3人で何かできそうだと思い、バンド「ギャーテーズ」を結成しました。
だけど最初練習をしても、ちっとも覚えられず次の日には忘れてしまう。
それで音楽って楽しくするものじゃん、もういいやと思い即興にする事にしたのです。
「ギャーテーズ」私もCDも持っていてビデオも持っているのだけどかなり宇宙で凄いのです!。

ここまででもかなり面白いのに、1代目住職は韓国人で壮絶な差別を受けてきた方。
同じく差別を受け隔離されている脳障害をもつ人達に同じ何かを感じたのか、この3人の清僧さんを第二本尊としているのです。
韓国人と日本人の価値観、境遇の違い、お互い好きな所も沢山あるのにどうしても譲れない所もあり、さてさてギャーテーズの行方はどうなる!となるのだけど、
これはお寺の中の話だけではなく世界全体の話でもあると思うのです。
戦争、差別、どうしても曲げれない思いなど、
でもそんな事はどうでも良いといった感じの清僧さん。。。

他のバンドメンバーも音楽好きなら「ウヒョッ!」と思う程凄い人ばかりなんです。
色んなテーマが含まれているこの映画、宣伝をもっとしたら人が入りそうなのに、もったいないな〜。
明日までやっているので、変わった音楽、ドキュメンタリー映画が好きな人は是非!
「Freak Out」のサイト

ギャーテーズのメンバーの高橋ヨーカイさんの
「俺たちが清僧さんのファンなんだよ」という言葉がとっても良かった。
この言葉は凄く凄く素晴らしい言葉だよ。
私は実際に障害を持った人に接した事ないから分からないけど
何かが足りないって、それは誰もが持つ事が出来ない何かを持っているという事なんだ。
障害を持っていなくても五体満足な人でも「自分は人より劣る、何かが足りない」と思う事あると思う。私も幼少の頃から自分には何かが足りないと思って生きて来た。
でもそういうのって開き直った方がいいのだと思う。
その足りない物が脳障害だったり、私みたいに人には分からないけど足りないと思う事だったり、それってそんなに代わりない事だと思うよ。




posted by kyoko at 14:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする