2012年10月06日

ありがとうございました。

「リキテックスアートプライズ2012」無事終了しました。
お忙しい中足を運んで頂いた方、投票して頂いた方ありがとうございました。
85人の展示は今迄経験のない壮大のグループ展のようでもあり、
個展の集合のようでもあり、
普段あまり接する事がないタイプの絵に1日で沢山であう事ができたのでとても刺激になりました。
それと同時に「絵を描く人がこんなにもいるんだ」と思うともっともっと絵が溢れる世界になって欲しいと切実に思います。

そしていつも展示に見に来てくれるお友達とお世話になった方が集まり、楽しそうに話している光景を見るだけでも幸せでした。

お忙しい中駆けつけてくれた方、初めてお会いした方、長い時間ずっと残り搬出まで手伝ってくれたお友達、感想ノートにとても励みになる言葉を書き残して下さった方、本当にありがとうございました。
皆さん優しい方ばかりで、出逢えただけで絵を描いていて良かったと思います。
この日の感動は永遠です。

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posted by kyoko at 20:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月04日

展示のお知らせです。

リキテックスアートプライズ2012」のアートフェアに参加します。
お友達の川村レイコさんも参加します。

2012年9月29日(土) 10:00 - 18:00 (入場は17:30まで)
会場:ラフォーレミュ−ジアム六本木 (東京都港区六本木1-9-9 六本木ファーストビルB1F)
入場料:500円


それに伴いWeb一般審査が9月24日(月)まで行われています。

とてもとても面白い絵が沢山出展されていますのでお暇でしたら覗いてみて下さい。
私は去年のマルプギャラリーでの個展の絵を一般審査に出しています。
そして今回のこの展示は去年の個展「零れ宇宙」の続きの絵を描いて行こうと思います。
私の中ではまだまだ描きたい絵があって、頭の中には壮大に広がっているのですがまだそれを頭の中から解放していないので、でも今回このような機会が出来たので思いっきってぽとりと産み落として行こうと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

posted by kyoko at 16:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロバのお礼

もう大分前になりますが「ロバミュージアム 2012」無事終了しました。
暑い中、ロバに逢いに足を運んで頂きありがとうございました。
たじまひろえさんから「ロバを一緒に描きませんか?」と誘って頂き、
合作は初めてなのですが、私はたじまさんの絵と一緒になれるなんて絶対面白くなるともう予想は出来たので二つ返事でお受けする事にしました。
たじまさんの住む湯河原から、ひろえロバが一人山をおり、
よっこらしょっと私のマンションのドアを叩き暫く近所の鳥と戯れ、
そして私が生み落としたロバと一緒にお喋りをしながら今度は二人で湯河原へ。
旅をする度に絵が増えるという楽しい楽しい旅でした。

そしてお喋りに夢中になるロバが完成!
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今回こんな風に誘われなかったら私はロバを描く事はなかったし、こんな素敵な合体ができて誘って頂きとても感謝です。
そして私の中に「今度はこんなロバを描きたい」とか「又今度はこんな風に合体したい」と沢山沢山やりたいことがグググっと芽生えてきました。



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2012年07月29日

展示とミヤケンとニシケン

Tambourin Gallery Presents/ロバミュージアム 2012
2012_7/31(火)〜8/12(日)<8/6月曜日休>

に参加します。
名前は「弘田ひろえ」で参加します。
なぜこんな名前かというと、たじまひろえさんとの合体したからです。
こういうのをユニットと言うのでしょうか?
このユニットという言葉に何だか気恥ずかしさを感じてしまいます。
同じ画面に描くというのはどうにも遠慮してしまいがちですが、それを乗り越え面白い作品が出来ました。
参加者は錚々たる顔ぶれですのでとても楽しみです。
とても面白い展示だと思いますのでお近くに来た際には是非お立ち寄り下さい。



最近は、部屋の気温が37度を超えるとどうにもこうにもじっとしていられず、汗をダラダラ垂らしながら朦朧としてなんにも手につかないので暇がある時はお昼過ぎあたりから図書館で2時間程過ごすのが日課となりつつあります。
本はそんなに読む方ではないですが図書館だと涼しさも相まってとても集中して読めます。
先日は西村賢太さんの『苦役列車』を読んできました。
噂では聴いていたのでどんなダメ人間ぷりが描かれているのかしらと、私よりダメなら見下してやろうくらいに思い期待して読んでみたものの、予想に反してそれ程ダメ人間ではなく、私にはとてもたくましく感じられました。
性犯罪者の父親を持ち、中卒で一人暮らしをして日雇いで生計を立て15で風俗通い、酒をくらい貧乏卑屈で人に絡み妬み恨み・・・・だけど10代なんて自分が何者かも分からないし、夢なんてなくて当たり前だし、私には好感とは言わないけどある種の親しみににた感情が芽生えました。
それと人の母となってもよい歳の私のありあまった母性のせいかもしれませんが、この主人公の行動が可愛くも思えました。
しかも読んでいるうちに彼の行動におかしみが湧いてくるのだから、
なんだかんだ言って私は卑屈でも自分の中の毒を面白く放出している人が好きなんだなと思います。


そして最近ちょこっと読んだのが宮沢賢治。
宮沢賢治は確か小学校の頃「よだかの星」を読んだのだけどあまりハマりませんでした。
だけど先日、お友達の南さんに「グスコーブドリの伝記」の試写にさそってもらってとても興味をもちポッドキャストで宮沢賢治の作品を聴いていました。
宮沢賢治は自己犠牲精神、宇宙全体の幸せを願う人で常に誰かの幸いの為に何ができるだろうと考えている聖人君子のような人に感じました。
そして「よだかの星」を改めてよんだのだけどこれは酷い。
外見が醜い鳥だと仲間の鳥にはバカにされ嫌われているよだか。
しかもとても衝撃だったのは自分が生きる為に沢山の虫を食べる事を嫌悪し、虫を食べるときの喉元のカシャカシャという感触にも嫌悪する。
そして絶望し星になりたいと願い夜空を飛びまわりやっと星になれる。
そう、この話は自己犠牲ではなく自己否定の話ではないかしら。
何でこんなに自虐的なの?一体何を伝えたいのかさっぱり分からない。
なんで一番純粋で優しい鳥が醜いが為に虐められて星にならなけらばいけないの?
それだったらせめて最後に「本当に心の美しい鳥しか星にはなれません」というのを付け加えて欲しいです。雨ニモマケズだかなんだか知らないけど、可哀想すぎる。
それに読んでいると賢治もちょいちょい毒を吐く。
よだかの事を「醜い鳥」といいきるのも賢治、悪い奴だな〜と思ったし、
「あの人はバカなのではないだろうか」とかちょっとバカにしたような、自分が優れているような事が描かれているのもある。
だけど後になって「あの人の幸いの為に何ができるのだろうか?」と言い出す。
自虐的だったり、人を見下したり、賢治はもしかして心がかなり不安定なのかしら?


名前に同じ「賢」がつくけど先ほどの西村賢太さんとはかけ離れている二人。
しかも西村賢太さんの方が宮沢賢治よりマトモでちゃんと地に足をつけ生きているように感じます。
でもそれだけ宮沢賢治の人格はとても興味深く、他の本も読んで読み解いてみたいとも思います。



posted by kyoko at 20:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月07日

音の鍵

過ぎ去った日々の写真を見ると胸がザワザワするのは何でだろう。
この風景は変わらず今もあるのに、写真の中の人はもういなかったり、
きっともう一生逢う事はなかったりするから
私は記憶の中のその人を探します。
頭の中の普段は触れない場所に小さな虫が入り込んで、
痒くてたまらないから、
その虫を探すように、
私は形のない欠片の姿を探している。
そんな日々が最近続いているのはきっと雨音のせいだと思います。
ノスタルジアが遠慮なしに襲って来て、夜中に急に目がさめて
もの悲しさに心が染まってしまう。
それは大抵が知らないうちに雨が降っている夜なのです。
私だけがそうなのかは分かりませんが、
雨音は何か心に作用するそんな力があるような気がします。

音というのは不思議で、瞬間に消えてしまうのだけど、
昔良く聴いていた曲が流れてくるとその時の何気ない光景が脳裏に映し出されます。
それは昔住んでいたアパートでチャーハンを食べている光景だったり、
昔よく遊んだ友達の笑い顔だったり、
大嫌いだけど、それでも好きだった人だったり。
音が小さな箱の鍵をカチャと開けて
僅かに空いた隙間から光が一直線に飛び出してきて
パラパラとその頃の映像を映し出します。

今私がこうしている時の音も、
今この瞬間の光景に仲良くひっついて
せっせと箱に閉じ込めて記憶と混じりあっています。


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2012年06月25日

最近の事

最近といってももう1ヶ月前の事ですが、
「ル・アーブルの靴磨き」を見ました。
大好きなアキ・カウリスマキ監督はいつも優しさと愛で包んでくれる。
だから私もその優しさに心をひたひたにつけ込みたくて映画館に心弾ませながら行きました。
行ったのは映画館だけど、私の心は既にフランスのル・アーブルに住んでいて、靴磨きの主人公マルセルに靴を磨いてもらい、暇さえあればマルセルがいつも行くお店に私もふらりと出向き、一緒にワインを呑み、そしてマルセルの手助けをするんだ。
映画の物語が進むと同時に私の妄想も進み、仮想を通り越して映画館の中にル・アーブルの海の匂いが漂ってくるくらいその世界にとっぷりとつかりました。
その世界に入りながら、時が止まって欲しい、映画が終わって欲しくないよと願っても必ず終わりがきてスクリーンが暗くなり、館内が明るくなった時はなんだかとても寂しくて、嫌だよ、ここから動きたくないよってそんな風に久しぶりに思った映画でした。
今でもたまにあの時感じた海の匂いを思い出し、何度も何度も映画のシーンを思い出し、少ない台詞は本当の言葉となって胸に留まり、町も人も小物も色も全てが愛しくて、宝物がつまったような映画。
映画は終わったけど私の中で恋は始まりました。
posted by kyoko at 20:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月15日

アイスカップの鳥

夏休みの工作の宿題で私はアイスカップに紙で作った鳥の頭とシッポをつけた鳥のお船を作りました。
これをお風呂に浮かべて遊ぶんだとワクワクしていたのを今でも覚えています。
同じクラスの深雪ちゃんはヤクルトの入れ物で人形を作りました。
小学一年の夏休みも終わり2学期初日の出来事です。
担任の先生が「工作は後ろのロッカーに置いて下さい。」と言ったので私はロッカーの上に置きました。
そしたら後から来た深雪ちゃんが私の鳥のカップにヤクルトの人形を入れました。
本当はちょっと嫌だったのだけど、深雪ちゃんが笑ったから私も笑いました。
そしてお昼休みの前に先生が「工作を展示教室に飾るのでみんな持って行って下さい」と言ったので私はロッカーに走りアイスカップの鳥を取った時に中に入っていた深雪ちゃんの人形を落として割ってしまいました。
後ろにいた深雪ちゃんはとても怖い顔をして「酷い!どうしてくれるの!」と怒りました。
私は「ごめんね」とあやまり、そして直ぐに自分のアイスカップの鳥を手でぐしゃぐしゃに潰してゴミ箱に捨てました。
その私の行動を見た深雪ちゃんはニコッと笑い許してくれました。
私と深雪ちゃんは「どうして夏休みの宿題をしなかったのか」と先生に怒られたけど、でも深雪ちゃんはニコニコとしていたので私はホッとしました。

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多分私は人形を壊しておきながら自分だけ宿題をちゃんとやってきたというのは悪いと思い、こうする事しか思い浮かばなかったこの頃できる精一杯の誠意と謝罪だったのだと思う。
この一件を今でもたまに思い出し、遠い昔の自分の事なのに何故だかとても切なくなります。






posted by kyoko at 18:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

ホームページに作品を追加しました。

セツに通い初めの頃、周りには素敵な絵を描く人が沢山いて、いつも「いいな〜、私もいつの日かあんな絵が描けるようになれるのかな?」と嘆いていました。
毎日絵の事ばかり考え、素敵だと思う人の絵に似た絵を自分が描けるようになる夢を見たりもしました。
でも現実は「素敵」と思った絵と似た絵を描ける事はなく、当たり前の事だけど「私は私のもっている物しかもっていないんだ」と気付きました。
人格や見てきた物、今まで生きてきた環境、好きな音楽、好きな本、好きな世界観など全て違うから、どんなに真似しても出てしまう揺るぎない自分。
真似をしようと思うのは最初のとっかかりで、描いているうちにどんどん別物になってしまう。
私はなんて不器用なのかしら!と思いながらもその違いを笑いながら楽しんでいたりもしました。
好きな物に近づこうと思えば思う程どんどん遠ざかり、そのかわり自分に近づいて行く。
きっと器用な人なら「素敵」と感じた絵を描く事ができるのだろうと思うのだけど、でもきっとそれは通過点で遠回りしながら自分に近づいて行くのだと感じました。


そう思うとセツにいた頃の絵は今の私には描けない絵でそれはそれでとても愛しくもあります。
そして今描いた絵も未来の私には描けない絵だったらいいなと思います。


ホームページに作品落書きを追加しました。
お暇な時にでも覗いて頂けたら嬉しいです。
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posted by kyoko at 16:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月01日

象のシワでは萌えません

吉祥寺バウスシアターで「淫力魔人イギー・ポップ&ザ・ストゥージズ」を見ました。
全編ライブのこの映画。イギーポップ64歳。身体はかなり鍛えているし、年齢なんて全く感じさせられずとにかく圧倒されたのだけど、イギーのシワとキズだらけの身体をみていたら、私の脳の記憶のスイッチが入り、いつか会った女の人が私の頭の中に何度も何度も映し出されてきました。
記憶の奥の方から滲み出た女の人。
中央線であったあの女の人。
電車の座席に座っている30代位の女の人の前に立った私は女の人の胸元に釘付けになりました。
実際には目が釘付けになるのは一瞬だけで、私の心が胸元に置き去りになりました。
電車から降りてからもずっと感動に近い感覚を抱え忘れられずにいました。
女の人は胸元が開いた服を着ていました。
その胸元にはかなり深いキズ跡が。
怪我をしたのか、手術の跡なのか、白い皮膚に縫い跡がくっきりと残っていたその胸元はとても美しくてうっとりと見とれてしまったのです。
女海賊エメラルダスにも顔にキズがあります。
女の人のキズを見たのはエメラルダスと母親の帝王切開の傷跡以来で、エメラルダスのキズも母親のお腹のキズも子供心にカッコいいと思っていました。

もし私にも同じように身体の何処かにキズがあったなら、多分こうやってキズを出す事はなく生きて行くでしょう。
あえて胸元のキズを出すという事、それは自分が生きてきた証を包み隠さずさらけ出す事のような気がします。
あの女性にもキズにコンプレックスを感じる日々もあったかもしれない。
だけどコンプレックスを潔く堂々と出し、そして出し続けていたらそれはファッションとなるという事を知りました。
誰にも真似出来ない心のファション。
私の好きな映画「ひなぎく」で女の子が「私はがに股。でもそれが個性」と歌うシーンがあります。
私はこのシーンが大好きで、この詩も大好きです。


イギーのライブを見ながら分かった事。
私はシワとかキズを見ると萌えるんだ。
イギーのシワとキズだらけの身体も、あの女性の胸元も、お婆さんのシワシワの胸元も本当に美しいと思う。
若い頃のツルツルしている皮膚よりも美しいと思う。
世の中の価値観とかそんなもの覆す、なんだか心がザワザワする美しさです。

posted by kyoko at 02:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月30日

パブロフの春

本当にあの砂壁が嫌でした。
所々にピカピカするのが入っているあの砂壁。
広さの割には家賃が安いからといって住み始めたあのボロアパート。
今のマンションに住む前に6年も住んでいて、地震で倒壊する恐れがあるから取り壊されたボロアパート。
あんな部屋でさえいざ引っ越しとなると、大嫌いだった砂壁ともうお別れと思うとちょっと寂しくもなりました。
最後部屋を出る時は一緒に住んでいた幽霊らしき何者かと砂壁にさよならとお礼を言い出て行きました。
次の引っ越し先はあのボロアパートに比べればとても綺麗な所なのに、何で名残惜しいのだろう。


それはまるで卒業のあの時の感覚にも似ているなとも思いました。
もう、本当にこの学生生活にも飽き飽きしていて、楽しい事なんかあまりなかったし勉強も嫌いだったから本当に早く卒業したかった。
早く自由になりたかった。そして未知の新しい世界に早く行きたかった。
でもなんでだろう、もう飽き飽きしていたあの通学路も校舎も学生生活もいざもう行かなくてすむかと思うと寂しさがジワリジワリと湧いてきて、愛おしくも思えてきます。
突然に今までの日常に終止符をうち、そして寂しさの次に襲ってくるのは新しい環境への不安と期待と得体のしれないドキドキ。
そのドキドキはいつのまにか日常に溶けこみ消え失せてしまうけど、何十年たった今でも春が近づく度に蘇ってきます。
今の私の環境は何一つ変わらないのだけどうっすらと蘇ります。
それは私の細胞に埋め込まれているかのよです。
鶯の鳴き声、梅の匂い、春まじりの風、それらが私の五感の隅々まで刺激して春のスイッチが入ります。
すると得体のしれないドキドキが襲ってくるのです。
それはまるでパブロフの犬のように、後天的に積み重なれた強烈な感覚。
そしてこの宙に浮いた行き場のないドキドキを抱えた心は春を彷徨います。
これを思うと、春に気狂いの人が出現するのも何だか分かるような気がします。
春に間違えて押された気狂いスイッチ。
それは誰もがそうなる可能性がある日本人の性なのかもしれません。


posted by kyoko at 14:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする