2013年09月06日

最終回のお仕事の絵。

今回で終わりの別册文藝春秋『ナイルパーチの女子会』柚木麻子さん著の扉絵を描きました。
終わってしまうのは本当に寂しい小説でした。
女子同士の人間関係を上手く築く事ができない、その感覚が手に取るように良く分かる心にズンズン来る内容でした。

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私も似たような経験はありました。
ついさっきまで仲が良かった友達が突然何の連絡もよこさず遠ざかってしまった事。
10代後半の頃、毎日のように遊んでいた友達Kちゃん。
好きなバンドのライブに一緒に行ったり、映画を見たりほぼ毎週会っていたほど濃密な日々でした。
私は本当に大好きな友達だったけど、ある日なんの前触れもなくその関係は断たれ赤の他人になりました。
私の方から電話したときKちゃんは「もう会わないし、遊ばない」と言いました。
私は訳けも分からず「理由を聞かせて欲しい。嫌な事したなら言って欲しいよ」と訪ねると
「理由というかもう遊ぶの辞めようと思った事は前から何度かあったよ。
彼氏にも遊ぶなって言われたんだよ」
私は「嫌いと思った事は私は一度も無かったよ。
でも嫌な思いをさせていたみたいでごめんなさい。
今まで遊んでくれて本当にありがとう。もう連絡しないね。」と言って電話を切りました。

そしてそれ以降どうやって友達関係を築いていったらよいか分からなくなりました。
これは今でも多少あるのですが人と深く関わるのが怖いというのもあります。

とは言っても続く人は続きます。「あんたむかつく」と言って喧嘩をしても次の日には笑って会話出来る人もいますし、その反対に私からフェードアウトした人もいます。

そして「来る物拒まず、去る者追わず。」が私のモットーになりました。
来るものを拒まなすぎてとんでもない人が来る事もありますが、それももの凄く楽しんでいます。
何事も押し付けない、私の事分かってちゃんにならない、そういうのってダサいって事が分かったらとても楽になりました。
ちょっとした距離感がある方がとても心地よいのです。
よく友達って「何でも相談出来る」とか「何でも分かってくれる」と言いますが、私の場合そうではなくて、もの凄く下らないこれ以上ない馬鹿で意味のない話を飽きもせず話せるというのが一番だと思います。
posted by kyoko at 20:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月01日

日常を壊したい欲求

私は物心ついた頃から「こんな変な事を言ったら、皆の反応はどうなるんだろう?この状況を変えてみたい。」という欲求が異常に強く、突然に突拍子もない事を言ってはその場を笑わせるのが好きでした。
良く言えば「日常にある開く事がない小さな窓を少し開き違う風景を見たい」という欲求が強いのです。

それは会話だけには収まらずある行動に出る事もしばしばありました。

20年以上前、上京したての私は古着のフェイクファーのコートにベレー帽を被り、ミニスカートにペイズリーのタイツという気が狂ったような出で立ちで原宿を探索してました。
すると奇麗な色っぽいお姉さんが私に声をかけてきました。
「美大生ですか?いかにも絵が好きそうですね。今この近くで絵の展示をしてますが見に来ませんか?」と声を掛けてきました。今ならありがちのセールスと直に分かるので無視しますが、当時の私は無知でありおまけに暇で、好奇心も旺盛、そしてお得意の「日常にある小さな窓」を開きたかったので何の躊躇もせずお姉さんの言うギャラリーに足を踏み入れました。
当時私は絵は描いていませんでしたが絵は好きでした。
でも残念なことにそこに飾ってある絵はどう見ても好きな絵ではなく色も形もセンスがなく、良いと思う絵が一つも見つかりませんでした。
がっかりして帰ろうとしたらお姉さんが「この絵の前に座って下さい」と言うのです。
私が座ると「どうですか、この絵が自分の部屋にあったら素敵でしょう?
朝起きるとこの絵が迎えてくれるのですよ。それが1日コーヒー1杯の金額でその願いは叶うのですよ。」
と言ってきました。
そう、お姉さんは「この絵を部屋に置けばあなたが望む日常の小さな窓を開き違う風景が見えますよ」といいたいばかりに自信満々で言ってくるのです。
でも私はこんなダサい風景を見る為にこの窓は絶対に開きたくなかったのです。
そして純真無垢な素直な私は「すみません、この絵を全く良いとは思いません。部屋に置きたくないし私の趣味にはあいません」
と断りました。そしたらお姉さんはそれ以上なにも言わず速やかに引き下がりました。

それ以降私はこういったセールスの裏側を覗くのが楽しみになってきました。
ある日渋谷を歩いていると「ann annやnonnonの雑誌のアンケートですがちょっと良いですか?」と20代の男性に声を掛けられました。
アンケートだけならと了承すると雑居ビルに連れて行かれ本当にアンケートを書かされました。
その内容は自分の体の事について。「奇麗になりたい所はどこですか?お肌の調子は」などというアンケートです。私はそれに「私は今のままで十分奇麗だしこれ以上奇麗になる必要はないです。肌も奇麗だしスタイル抜群なのです。」と書いたらそこにいた女性は苦笑い気味に「そうですか。あなたには必要ありませんね。」とこれまたすんなり返してくれました。
エステの勧誘だったのですがまったく戦いがいのない相手です。

こういった体験が私には沢山あります。怪しい霊感商法や怪しい宗教など。
人に言うと「本当に怪しい出来事が寄ってくるね」と言われます。
さすがにそんな事にいちいち首を突っ込んでみるのは20代で辞めましたが、当時はやっていた「裏物の本」が好きでそのライターになりたいと一時思ったりもしました。

この行動で得た事は怪しい物を見分ける臭覚と、裏側の扉は至る所にあるという事。
先日も家の郵便受けに「ヨガの無料体験」のビラは入っていました。
ダイエットもしたいし行ってみようかなと思ったけど、怪しい匂いがプンプンする内容でした。
ネットで調べると案の定怪しい所でした。

今はこの「違う景色を見たい」欲求は自分の妄想の中だけでする事にしました。
それ以外にも、映画や本で事足りるようにはなりました。
何よりも絵を描く事で日常を壊したい欲求は満たされるようにはなりましたから一安心です。



posted by kyoko at 03:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月17日

お仕事の絵と新しく描いた絵を幾つかアップしました。

もの凄くヘビーでパワーのある小説です。
どんどん泥沼になっていって、何かがパチンと弾けたようにずんずんと堕ちていく。
エゴと独りよがりの行動でひっくり返るような展開です。
あ〜、あと1回で最後になるのがとても寂しいです。
本を読んで、浮かび上がった絵が幾つかあって、これだと思ったのを絵にしてみましたがどうでしょうか?
もっともっと素敵な絵が描けるようになりたいです。

別册文藝春秋『ナイルパーチの女子会』柚木麻子さん著の扉絵

4回目
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5回目
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そして作品などをこちらのタンブラーに移行しました。
http://kyokohirota.tumblr.com

もしお暇でしたら覗いていただけたらとても嬉しいです。


暫くブログも停滞してしまって、何度もふっと思いついた事を文字にしておこうと思っていたのですが、なんだか気分が乗らず。
でもなんにも生産していないと本当に空っぽな人になりそうです。
書きたい事は沢山あるので頭の中のグルグルをまとめて少しづつ書いて行きたいと思います。
posted by kyoko at 01:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月11日

心地いい混乱

今年一番の楽しみはレオス・カラックス監督の映画「ホーリー・モーターズ」。
先日ユーロスペースにて見てきました。最近はこの映画館に足しげく通っています。
そしてこの映画は凄かったです!主人公の男が一晩にいくつかの人の人生を演じるという内容なのですが、
説明もなんにもなく乱暴に狂気的にずんずんと物語は進んでいくので、私は「どういう事?」と混乱していきます。でもこの混乱が私は大好きで心地よいのです。
混乱しながらも一人一人の役が謎めいていて、とても面白いので吸い込まれるように見入ってしまうのです。
初めは理解しよう、答えがあるかもと思って見てしまうけど、理解しようなんて思わずに感覚だけで捉え、思考を委ねる感じで見るとすいすいと泳ぐように見る事ができました。

私も常日頃色んな人の人生に憑依したいと思っているし、他人の事は理解しようとは思わずに妄想憑依しようとお心がけています。
それは時には現実逃避となってしまって自分の世界に着地する事ができなくなる事もあります。
こんな事ばかりを繰り返すと妄想憑依と現実の自分とどっちが虚構なのか分からなくなってしまい、混乱します。でもこれも心地よい混乱なのです。


同じく、レオス・カラックス監督の「汚れた血」という映画が何よりも大好きで、もう何度も見ているのだけどその度ドキドキして、発狂してラストには涙します。この映画の事を考えるだけで恋をしたかのように胸が高まり17歳の頃に戻れてしまうのです。
この映画のラストは本当にとっても素晴らしくて、私の見た映画の中でも一番ではないかとも思うのです。
posted by kyoko at 14:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月09日

描くという事で思った事

知り合いの、とはいっても私が一方的に知っているセツで知り合った女性の方の絵が好きでした。
何年か前までは精力的に活動をしていたのだけど、ここ数年この方のブログは更新されず、新しい絵も載せていないし展示もしていないので今は絵を描いていないのかしら?
たびたび思い出し少しだけ気にはなっている方。どうしいるかなってそういう人が数人います。


先日、絵描き友達と話していた時、彼女は「絵を描いていて良かった。凄く救われている。どんな時でも絵は直ぐ隣にいてくれる。まだ絵を描いていなかった頃は苦しくてしょうがなかった。音楽も映画も好きで沢山インプットしてきたけど、自分は何も出していない。それが辛くて苦しくてしょうがなかった」と言っていたのがとても心に残っています。
なぜなら私も全く同じだったのでとても気持ちが分かるからです。

20代の頃私は絵を描いていませんでした。
音楽、映画、小説、マンガ、そしてもちろん絵を見るのも好きでした。
同じような趣味の友達と過ごし、人が創った物を見ては一緒に感動していました。
その友達はそれだけで人生満足で、それが全てだと言っていました。
私は違うと、何でか分からないけど私はなんか違うとずっと思っていました。
だけど、私もその友達と同じように、これで満足だと思い込ませていた。
何かが違うと頭の片隅にはあったけど、「一体私に何が出来るのだろうか?」と思うとそう思い込ませなければ辛くてしょうがなかったのです。
ずーっとそうやって人の創った物を待つ受け身な人生でいいんだって。


あの頃は本当に霧の中を歩んでいるようでした。いつも目の前はモヤモヤと視界も聴覚も曇っていて、生きているのか死んでいるのか分からないほど、あの頃の記憶もあまり無いのです。
いつも「死にたい」と思っていました。
狭いアパートに夜の闇がやってくると、孤独と貧困の輪郭が目の前にくっきりと現れて、世界中の誰からにも取り残され、私の友達はこの部屋に住むゴキブリだけなんだって、そして永遠にこのままだと思うと、本当に嘘みたいに死にたいと思っていたんだ。
今冷静に考えるとあれは自己喪失だったのだと思います。
誰かが創りだした物に依存する事で自分自身を見つけようと必死で、
常にそれに違和感を持ちながらいたから、だからいつもモヤモヤと霧の中だったのです。


今は嘘のようにとても幸せです。
なによりも絵を通しての素敵な友達ができたし、たとえ今でもそれほどお金が無くても幸せなんです。
私は何で絵を描いているのだろう?と思う事もあります。
誰かに認めてもらいたいのだろうか?もちろんそうだと思う。
今だって、こんな底辺であの部屋のゴキブリと同じで、ウロウロしているだけだけど、
それでも何かちょっと変わるのではないかって思ったりしています。


絵を描くのを辞めてしまった人は、描かない事で救われているのでしょうか?
それが幸せならそれでいいと思うし、他にもっと夢中になれる物を見つけたのかもしれないし。
描く事で救われる人もいれば、描く事で辛くなる人もいるのも現実。
その境界線はとてもとても曖昧で、私だっていつかそっち側に行くかもしれません。
そしたらまたあのアパートでただただ朝がくるのを待つ日々を過ごすだけになるのかもしれません。
posted by kyoko at 19:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月01日

春はあまり好きではなかったりするけど、やっぱり本当は好きです。

巷ではおき楽な嘘をついてちょっとばかり人を脅かしてみたり、
テレビでは入社式の映像ばかりで「これから新しく始まります」などとニュースで見たり、こんな光景は落ち込んでいる時に見ると更に落ち込みます。
桜が咲いて、近所の猫も外で楽しそうに遊んでいて、ベランダのビオラちゃんも太陽の方ばかり見つめて、何もかもこんなに新しいのに、キラキラしているのに、現実を見たら私は古くなっていくばかりで薄ぼんやりの影だけを落としただただ黄昏れていくばかりでもう本当に嫌になっちゃう。
でもせめて良い事だけはしようと思い外に出て、この混沌とした町で私は良い事おばさんになろうと誓い、早速駆け足で駅に向かい券売機の前に今日迄の回数券を一枚置き、これを誰かが発見して使ってくれたら、その人はラッキーと思い笑顔になり、小さな幸せを分けてあげられるわと思うと私も笑顔になれました。

そしてさらに町内を歩いているといつも見かける車椅子にのった不良小人さんが、楽しそうにコンビニの前でワンカップの日本酒を片手に仲間と談笑をしていました。
この不良小人さんはいつも町をウロウロしていて、そして楽しそうに誰かと話しているのをよく見かけます。
それを見る度に私も楽しくなり、私はこの方が大好きで、そしてこの混沌とした町が大好きです。
外を徘徊してとても楽しい気分になりました。春には外に出てみるものだな〜と思いました。

そして心機一転、無理矢理にでも新しくなるように前向きに頑張っていこうと思いました。

posted by kyoko at 19:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月12日

余寒お見舞いもうしあげます

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日々の落書きの絵をこちらにアップしました。http://kyokohirota.tumblr.com/
お時間のある的にでも覗いて頂けたら嬉しいです。


あけましておめでとうございます。
2月10日が旧正月だと聞いて、新年の挨拶もままならなかったので今更ながらおめでとうございます。
新年始まって1ヶ月半位たちましたが、この短い期間で私の周りばかりがウヨウヨとざわめく怒濤のような日々でした。
私は毎日変わりなく自分の仕事をこなし寝て食べて息をしているだけなのだけど、考えなければならない事、ショックで落ち込むような事が、私が生きていない世界からやってきました。
それは同時に1人ではないという事だから人との関わり合いが多くなればなるほど心配事も多くなる事なんだと思います。

そして今年から初詣のお願い事は「世界中の人が幸せで笑顔の絶えない世の中になりますように」とお願いする事にしました。
初詣の行列を見ていたら、神様も一人一人のお願い事なんて一々覚えていられないだろうし、周りの幸せがなければ自分の幸せも来る筈がないのだから全ての人が単純に「世界中の人が幸せになりますように」と祈れば神様も「お〜皆がそういうのなら」と考え直し素晴らしい世の中になるのではと思うのです。

皆が幸せになるなんて不可能かもだけど、意外にもヒントは映画の中にありました。
70年代の映画「ハロルドとモード 少年は虹を渡る」。
私はこのモードという79歳のおばあさんがとても好きです。
人の車を勝手に乗ったり、白バイを盗んだり決まりのない自由な人です。
何かを所有するという事を皆がやめれば皆幸せになるという考えの人です。
だからハロルドが「愛している」とおばあさんのモードに指輪を渡すのですが、モードはすかさず指輪を海に放り投げます。そしてモードは「これで永遠になくならないわ」と言います。
このシーンが大好きで、私もこんなおばあさんになりたいと思いました。
所有欲がなくなれば争いもなくなり、みんな幸せになるのではないかしら?
試しに半年だけ日本の人が「いっせいのせ」で所有欲をなくしたらどんな世界になるだろう?
そう思うと少しだけワクワクします。

という私もこの消費社会の奴隷なのです。
生きているうちになんとかこのモードの境地にいきたいです。


posted by kyoko at 03:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月10日

お仕事の絵です。

別册文藝春秋『ナイルパーチの女子会』柚木麻子さん著の扉絵を描きました。
30代女子のドロドロした人間関係を描いたこの小説がとても面白くて、とても好きな文章なのでドキドキしながらすっかり一読者になり読んでいます。
どんな年代でも人間関係は難しくて、自分では当たり前の距離感が相手にとってはズカズカと入ってくると感じたり、誤解を解こうと言葉を重ねれば重ねる程相手が離れていったり、そういう事は女性はきっと誰にでもある話なので『女子あるある』的なお話でもあります。

そして私の好きな少しホラー的文章、
「昭和生まれの掃除機はまるで、大きな鳥の遺骸のようだと思う」
「黒いコードがひゅるひゅると吸い込まれる様も飛び出した腸が戻っていくみたいでグロテスクだ」
「茶こしの中のあられが水死体のごとくふくれあがっていた」

という表現が、不吉な予感で胸が高まり、怖いもの見たさのワクワク感でページをめくります。

2回目の絵
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3回目の絵
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(1回目の絵はこちらです)

これからおこる不吉な予感が少しでも感じられたらと思い描きました。
文章を絵にするのは本当に面白いです。
小説を読むのって私にとっては、脳内に映画上映している感覚です。
なので映画のポスターを想像します。
作家さんだったらどんなポスターが良いだろうと想像しながら描きました。
正解はないけれど、もっと素敵な絵が描けるようになりたいです。

小説は益々ひっくり返る程面白くなってきましたのでご興味がある方は是非お手にとり読んでみて下さい。




posted by kyoko at 03:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月17日

私だけに聞こえる。

突然雨音が聞こえてきたので洗濯物を取り込むため急いでベランダに出るも、雨はこれっぽちも降ってなくて道路も濡れていないので「なんだ空耳か〜」と思い部屋に戻り飲みかけの珈琲を飲み干して暫くしてもずっと雨音が聞こえてました。
深まり始めた秋の午後、
その日は確かに青空の洗濯日和でした。

さっきからずっとポツポツと一定のリズムで聞こえる雨音は一体いつ止むのかしら?。
もしかしたら、ライブに行くと一晩中耳鳴りがするみたいなものかもしれないから一晩寝たらきっと聞こえなくなるだろうと気楽に思ってました。
ところが翌朝になっても雨音が聞こえている、外に出てどんなに目を凝らして青空を仰ぎ見てもやはり雨なんかこれっぽちも降ってなくて、耳の穴に指を入れてかきましてみても、耳栓をしてみても、トントンと軽く頭を叩いてもずっとずっとポツポツと雨音が聞こえてくるのです。

それでも二、三日したら聞こえなくなるだろうという変な確信で放っておく事にしました。
だけども三日が経っても相変わらず雨音は聞こえている、そしたら一週間位したらきっと聞こえなくなるさ、一週間たったら一ヶ月したらと思っているうちに、もう私は雨音が聞こえてくるのも殆ど気にならなくなってそれが私にとって普通な状態になり、時にはその音が心地よくも感じるようになりました。

もうそれからは雨音が友達のような存在になってきて、
一人道を歩いている時はその雨音のリズムに合せて歩いてみたり、
雨音に詩をつけて歌ってみたり、
雨音のリズムや音色にも色々あって、トタン屋根の雨音、土の地面の雨音、草むらの中の雨音、海の中に溶けもむ雨音と頭の中には沢山の景色が現れてくるのです。
とっても強い雨音の日は外界の音は一切聞こえてこなくなるので、ずっと一人で集中して考え事をするのには丁度よくて、もう亡くなった両親の事を、友達の事を、森の中に住んでいる生き物の事を考えたりと、とにかくこの雨音が聞こえるようになってから一人で色んな景色を映し出したり、考え事をする時間が増えるようになりました。

そんなある日、もっともっとようく耳を澄まして聞いていると雨音の中に誰かの足音が微かに聞こえてきました。
それは慎重な丁寧な足音だったり、時にはバシャバシャと水が跳ねる程乱暴な足音だったりして、その足音は確かにだんだんと私の方に近づいてくるのです。
きっと誰か素敵な人が訪ねてくるのに違いないと私はワクワクしながら待っていました。
何か良い事が起きる予感、幸せがやってくる予感、そんな予感を感じながら毎日を過ごすようになると現実世界で多少落ち込む事があっても
「今でも足音が近づいてきてる。きっといつかいい事あるんだ」と思うようになって気落ちする事がなくなり私は毎日を幸せに過ごす事が出来るようになりました。
永遠にその足音の主を分からないだろうと分かっていても、きっと一晩寝たら、明日になったら素敵な事が起きると思いながら過ごすようになりました。

前にもこのブログに書きましたが子供の頃、雨の日はずーと耳を澄まして雨音の中から聞こえる足音を聞いて誰かが迎えにくるのではとドキドキしながら待っていました。
それは本当に雨が降っている日に聞こえる足音で、今のように常に私だけに雨音が聞こえたわけではありません。



「私の背中にいつも人がついているのよ」と生前母親が突然言い出した事があります。
それ以降ちょっとした予知が出来るんだといいはるのですが、私はその時は「何言っているんだろう?」と半信半疑でした。
だけどもしかしたら私のこの常に聞こえる雨音は、この母親の言う「背後の人」と同じような事なのかもしれない、と思うようになりました。
今となってはもう聞けないけど母親の言う「背後の人」の事を信じて、もっと詳しく聞いておけばよかったと後悔してやみません。


私にとってはそんなに悪い事でもないので、
取りあえずしばらくはこの雨音を楽しみながら生きて行こうと思います。




posted by kyoko at 21:34| 半分妄想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月07日

お仕事をしました。そしてホームページに絵を追加しました。

別册文藝春秋11月号 『ナイルパーチの女子会』柚木麻子さん著の扉絵を描きました。
大好きな本のお仕事でとても嬉しいのと、そしてなによりもこの小説がとっても面白いのです。
読み始めて直ぐに文章の中に吸い込まれ、ドキドキしながら読み進めました。
女性の方はきっと「私にも似たような事ある」と直ぐに入り込め、文章を読むにつれドキドキすると思います。
こんな面白い小説を読めるのはとっても幸せです。
そしてどんな絵を描こうと考えるのも、緊張しますが楽しくてしかたありません。

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それと先日の展示の絵などをホームページに追加しました。
お暇でしたら是非覗いて下さい。



posted by kyoko at 02:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする