2014年12月10日

本屋に行くとちょっと落ち込むんだ。

落ち込むと言っても毎度の事だから落ち込む事にもなれて、それがいつもの状態になって麻痺してしまうのが悪い癖です。
自虐とか卑屈って何だか自己保身のような気がして嫌だけど、誰かに「そんな事ないよ」って言ってもらうために卑屈な事を言うのではなくて現実逃避しないため自分に卑屈な戯言を言っていこうと思います。

たまに大きな本屋さんに行っていろんな人の画集見たり、装画を見たりして「うわっ素敵!」って心踊らされるけど、店を出る頃にはこんな事思う。

「こんなにも沢山の絵があるのに、私の描いている絵はここのどこにもないのね。」

そうしていつも肩を落としトボトボと本屋を出るのです。

そんな時は個展なんかして沢山絵を描いてお友達や、たまたま縁があって訪れた人に絵を見てもらって褒めてもらって世に出た気になると少しは「自尊心」ってやつが保たれると思うのだけど、まず、個展するのには先立つ物が必要です。
でも果たしてそこまでする価値があるのか?って思ってしまうけど、確かに個展をすると無理矢理にでも同じテーマで沢山絵を描くからグ〜ンと画力アップしますから、きっと個展してそれだけの見返りがあったらやった方がよいのでしょうけど。
でも金銭的にも辛いのでこの際「妄想個展」でもしようと思います。
きりがよいので母の命日5月31日に搬入でオープンは6月1日〜父の命日の6月27日まで。
20点程の新作を私の心の中にある妄想画廊に展示します。
もう決めちゃったし、書いちゃったし頑張ろう。
本屋さんに置いてある絵の人は沢山仕事して沢山絵を描いているのに、私は沢山描いていないのです。
なので誰にも頼まれていなくても、勝手に描いて、
誰も見ていないこのブログの連載も頑張ろうと思います。

最近はお友達に素敵なボールペンセット50色プレゼントしてもらい、
友達にやった方がよいというアドバイスもあり、成る可く毎日インスタグラムに絵をアップしてます。
http://instagram.com/kyokohirota69




これで私のカレンダーは妄想締め切りだらけでとても忙しくなるでしょう。
本屋で落ち込んだかいがありました。



posted by kyoko at 17:33| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月30日

滅多に引かない私が引いた映画。

中学の頃、年に数回体育館で全校生徒で映画を見る行事があり一年生の頃は確か「幸福の黄色いハンカチ」だったと思う。
この映画を見て当時の私にはもの凄く腑に落ちない場面があった。
殺人の罪で刑務所に入っていた高倉健役のゆうさんが出所して
「もしまだ待っていてくれるのなら黄色いハンカチを竿の先に揚げてくれ」
と奥さんに手紙をだし、結果ハンカチは上がっているのだけど、私は「黄色ハンカチなんかそうそうないよ。薄黄色のタオルとか上がっているのかな?」と思ったら映画では真っ黄色のテロテロした旗みたいな布が何十枚も揚がっていた。
それにもの凄く不自然さを感じたのを今でも覚えている。
そんな事を思い出していたら、建さんが殺人を犯した理由をすっかり忘れていた事に気づき、気になったので先日テレビでこの映画を見てみた。
あの健さんの事だからのっぴきならない理由があったに違いないと私は確信していたのだけど。
そして映画を観て殺人の理由に愕然とした。
健さんは一目惚れしたバツイチの倍賞千恵子と結婚し、しばらくして奥さんは妊娠したが流産してしまう。
病院で先生から5年前にも奥さんが流産した事を聞かされた健さんは
「俺は隠し事をする女は嫌いだ」
と言い酒を飲み家を飛び出し、夜の街で肩が当たっただけという理由で男に暴行し殺してしまうのだ。
流産して一番傷つき弱っているのは奥さんなのに昔の事をチクチクと言い出し、殺人まで犯す。
「昔流産した事が俺はそれくらいショックなんだ」と言わんばかりに。

今迄私はどんなに酷い内容のでも映画の内容ではなかなか引かない。
そのなかなか引かない私がこの上なくどん引きしたのはこれだけではない。
出所した後、武田鉄矢がチンピラに絡まれるのだけどその時も殺人を犯した時と同じ方法でチンピラに暴行している。
確かその時の台詞が「あんたはそんな事くらいで怒るのか」とチンピラに言うのだ。
武田鉄矢が桃井かおりと喧嘩した時も
「女は弱いから守らなくてはいけない」と説教するのだ。
見終わってどの口が言うんだよ!と思わず叫んでしまった。

ダメダメ男がでる映画は結構好きだ。
それは本当に人間らしくて、憎めないたちのよいダメ男。
でもこの健さんはたちの悪いダメ男だ。
一見礼儀正しく、義理人情に厚く女性には優しそうだけど、昔の男尊女卑の考えが根強く残っていて、直ぐ頭に血が上り、強引で、ウジウジしていて、そのくせ人には説教する。
倍賞千恵子を好きになって何度かデートするようになったが冷たくされた時なんて家までこっそり行き倍賞千恵子が乗ったバスに走ってついて行くのだ。
思わず「気持ち悪い」と叫んでしまった。
そのくせ「俺は不器用だから」と言う。
本当に不器用な人間は自分で不器用だなんて言わないよ。


私の通っていた中学ではこの映画が名作だから見せたのだと思うが、この映画の何処が名作なのだろう。
ただ北海道の景色と桃井かおりはとってもよかった。
彼女がいたからとても救われた。

まだまだ言いたい事は沢山あるのだけど悪口だらけになってしまうのでこの辺でやめておきます。
名作という世間の言葉に惑わされてはいけない。
私はそういう事に惑わされずにちゃんと見極めて生きて行こうと思い知らされた感謝すべき作品です。
posted by kyoko at 15:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月19日

野性時代10月号で扉絵を描きました。

sensyoku.jpg

野性時代10月号加藤シゲアキさん読切の扉イラストを描きました。

最初読んだ時グイグイと引きつけられました。
絵を描いている人のお話なので興味深いというのもありますが、
自分と違うタイプの人と付き合う事で、その人に感化され少しずつ変わっていく感じが面白いです。
ある人と出会った事でこんなにも見る景色が変わるんだなという感覚、私も以前に味わった事があるような気がします。
同じ風景だけど、いままで行った事がない場所に迷い込んだような感覚を表現したいと思い描きました。

風景を描くのはとても好きなので今回このようなお仕事ができてとても嬉しいです。
posted by kyoko at 15:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月18日

グループ展にご来廊していただきありがとうございました。

遅くなりましたが先日のグループ展は無事終わりました。
沢山の方に来廊していただきありがとうございました。
今回は「Film noir 」 がテーマで私は大好きな映画「殺しの烙印」を描きたくて参加しました。
映画となるとその映画のファンの人もいるし、ファンの方が見に来て「ヘタクソ!出直してこい!」と言われるのではないかとヒヤヒヤしてました。
そしてそんな方はいなかったので一安心なのですが、とにかく情熱だけで描いてしまったので暑苦しい絵になってしまいました。私の場合全てが暑苦しい絵なのですが。。。。

私は以前、小林旭の映画を見た時、旭よりも宍戸錠の虜になりました。
錠の身のこなし、佇まい、ジョークやしゃべり方全てがちょっとした違和感があり錠から目が離せませんでした。
それから錠が出ている映画を見るようになりこの「殺しの烙印」にたどり着き、ぶっとんだ内容に衝撃をうけました。とにかく前衛的でかっこいいのですが、「どういう事?」と突っ込みたくなる映画なのです。
なのでこの映画の面白さ、素晴らしさを伝えたくて描いたのですが伝わったでしょうか?


そして一緒に展示した方もとても面白い人ばかりで、またどこかでご一緒できたらいいなと思います。

またいつか何か機会がありましたら展示をしたいと思います。
これに懲りず見に来て頂けたらとても嬉しいです。

ありがとうございました。

IMGP2659.JPG
posted by kyoko at 23:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月07日

グループ展に参加します。

gallery DAZZLEにてグループ展に参加します。

「Film noir 」 イラストレーショングループ展
2014年09月09日(火)〜 2014年09月14日(日)
12:00〜19:00 (最終日17:00まで)
オープニングパーティー9日(火)18時〜
フィルム・ノワールをテーマにしたイラストレーション展。
「地下室のメロディ」「チャイナタウン」「殺しの烙印」
「インファイナル・アフェア」「穴」「深夜の告白」
「上海から来た女」「夜の人々」「三つ数えろ」他
米国製のみならず、フレンチ、香港、そして日本ノワールも。

私は「殺しの烙印」を描きました。
korosi.jpg

お近くに来た際にはお立ち寄り頂けたらとても嬉しいです。
posted by kyoko at 22:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月11日

夏と忘却

突然いなくなった遠慮知らずで暑苦しい夏。
あまり好きではない夏。
一昨日から台風が接近しているらしくとても夏らしくない日々が続く。
最初は「このままずっといなくなればいいのに」なんて思っていたりしたけど、なぜだか秋がもうすぐやってくるのだと勝手に勘違いした心が寂しがる。
早朝のラジオから「グッド・バイ・マイ・ラブ」が流れてきたたら追い打ちでさらに寂しさが膨張して、脳内で悲しい物語を作り始め、半分寝ている状態でそれを見ているのがとても快楽で寝続けてしまい、目覚めたらもう日曜日の昼で、外の嵐で我に返り寂しさの後はもの凄い嫌悪感に教われる。
そして明日になればまた暑苦しいあいつが戻ってくるんだと思うとうんざりする。

そんな夏だって良い所は沢山あるよ。

洗濯物があっという間に乾く事。
暑さで早起きができる。
私の身体から汗となって毒が飛び散る事。(そして少しは清らかな人になれたらいいのだけど。)
蝉が地上で人生を謳歌出来る事。(もしかしたら蝉は暑い地上なんかに出てきたくなくて「嫌だよ」と泣いているかもしれないけど。)
そして夏が無ければ秋を寂しいなんて思わない事。(私は秋をなんだか寂しがりたいのです。もしかして夏がいなくなって寂しがっているのかもです)

夏はまだ暫く居座る筈。
うんざりもするのだけど、ちょっとだけ安心する。
もし夏がずっといなくなったら最初は寂しいけどいつかはそれに慣れるだろうか?

身近な人が亡くなった時、確かに数年はその人の事を思い度々泣いたりするけど、
もうそのうちそれが当たり前になってくる。
私の場合はお盆や年末などに実家に帰ると駅に母親が車で迎えに来てくれた。
母が亡くなった後に実家に帰ると駅では母の車を探してしまうけど、そこには父の車が待っていて「あ〜そうだ。母はもういないんだ」と気付く。
父が亡くなるとまた暫くは父の車を探してしまうけどそこには兄と姪や甥達が待ってくれていた。
そしてそれが当たり前になり父の車を探す事がなくなるように、一つの季節が無くなっても何十年もたつとその事なんて忘れて、時々年寄りの昔話に出てくるくらいになるのだろうか?

忘れてはいけない事も沢山あるけれど、
馬鹿みたいなくだらなく楽しい事で心を満たして馬鹿みたいに笑って死んでいきたい。
その為には忘れた方が楽な事を忘れるのはそんなに悪くないと思う。
悲しい事も、嫌いと思う事とか憎んでいる事は直に忘れてしまいたい。
忘れるという事は心になにかを埋めてくれる事。
楽しい事を埋められる隙間をつくってくれる事なんだ。


でもやっぱり夏がいなくなったら多分ずっと強烈に心に残っているだろうな。
そう思うと私は夏が好きなのではと思えてきた。





追伸。
なんだかまとまらない文章ですみません。
この前、毎日日記を書こうなんて大口をたたいたくせに3か坊主になってしまいすみません。
多分だれも読んでいないからすみませんといってもむなしいだけだけど。
この前「毎日チェックしてる」と言ってくれた人がいてなんだかとても嬉しかった。
でも多分毎日書く事は私には無理があるので申し訳ない気分でもあります。
書く事がないなと思っても、いざ書き始めるとなにかしら書く事が浮かんでくるので成る可くブログに向かうようにします。
絵も描く事ないと思っても手を動かすとなにかしら描く事が浮かんできます。
浮かばない時もあるけど、動かさなければ浮かばないので成る可く動かし、
なんにもしない時も絵とこのブログの事を考えて生きて行こうと思います。
見てくれてありがとうございます。



posted by kyoko at 02:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月05日

芋虫の未来

いつ迄続くか分からないけど、毎日日記と絵を書いてみようと思った。
日記は日々の出来事を残しておこうと思ったのだけど、日々はただいつもと同じように時間が流れるだけ。
毎日これといった事が起きる訳でもなく、それでもいつか心ときめく日がきて、それを書き留める日がくると思っている。

今日はトウモロコシを買ってきた。茹でようと思い皮を剥いていると芋虫が何匹がニョキニョキ出てきた。
私は小さな悲鳴をあげながら水で流したら芋虫は負けずにシンクにしがみついている。
必死にしがみついている芋虫を見ていたらこの芋虫にだっていつか心ときめく日がくると信じてこうやって力を振り絞りしがみついているのに、なのに私はそれを阻止する事なんてできないと思い、又小さな悲鳴をあげながらティッシュでそっと芋虫をつかみ、外に逃がした。
外は生存競争が厳しい。
鳥に食べられてしまうかもしれない。それでも人間の手で殺されるより、最後に見るのは卑しい私の顔よりも、このどんより曇り空の方がまだましだろう。
頑張って生き伸びてねと心の中でつぶやいた。

posted by kyoko at 23:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月04日

ここから先はリアル

今迄、絵を描いている友達で映画も観ない、小説も読まないという人に何人かあった事がある。
特に映画を観ないというのは、まさか全く観ない人がいるとは!と、ちょっとした衝撃だった。
理由はそれぞれちゃんとあって共通しているのは「本当ではないから」。
一人の子は「演技がダメで、演技していると分かるとさめるし見ていられない」
もう一人は「でもドキュメンタリー映画は好き」と言う。
この映画をみない人生を選んだ人は多分何本かは過去に映画を観たと思うが、その映画がもの凄くつまらなくて自分にあわなかったのだろうか?
私なんて人の創作物に溺れて生きてきた人生で、生きる事の一部ははそういう事と思っている。

ここ最近みた映画では「そこのみにて光輝く」が本当に素晴らしかった。
底辺で生きる人の映画で「うっ、、、お願いだから幸せになって」と強く願いながら観た。
映画は海岸の夕日のシーンで終わる。私にはそれが希望に思えた。

その映画館は地下にあるので見終わって階段を昇り地上に出た瞬間、現実の街の声、眩しい太陽の光が容赦なく入ってくるのだけど、心はまだその映画の中に浸っていいるので、ただ地上に上るのではなく底辺から少し地上に出れたような感じになる。
目の前には昔私がバイトしていたお店の曲がり角がある事に気付き、あの頃の過去の自分が鮮明に蘇ってくる。
それはまるで映画とつながっているようでもあり、私なりに生き方にもがいていた時期だからあの頃の言いようの無い心が蘇ってザワザワしてくる。

映画を見終わると、私の心の中ではそれは物語ではなくなってリアルになる。
映画を観るってそういう事って思う。
それは本当ではない物語だけど、見終わった瞬間の心の中は本当で、観る前には確実に無かったものなのです。
一つ映画を観ると一つ心に今迄無かった何かが生まれる。本当ではない事から本当の何かが。
その何かは形も色も人それぞれ違うけど、それはリアルだよという事を映画を観ない友達に伝えたいと思った。
posted by kyoko at 14:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

天国Twitter

記憶力が悪いのは今に始まった事ではない。
子供の頃から特に暗記というのは苦手だった。脳に欠陥があるのではと思う程、興味が無い事は全く覚えられない。
今はさらに酷くなり、人の顔や名前も、そしてこの前見た映画もドッと滝のように記憶が流れ落ちて行く。
そして思ったのは記憶が流れて行く先に池を作って記憶を貯めておく事はできないかしら?と。
その記憶の池をデジタル変換して記憶の池のコンピュータがあったらいいなと思う。
そのコンピューターに私が生まれてから死ぬ迄の記憶とか趣味や人格など全てインプットしておく。
そしていつでもアクセスして取り出す事ができる。嫌な記憶は速攻削除しておくことを忘れない。
そのコンピューターはいわば私自身。仮に私が死んでも私の人格をもったコンピュータは私が言いそうな事を言うし、昔の思い出を語ったりする。

死んでからの私のコンピュータは必要ないけれど、母親のコンピュータはあったらいいなと思う。
今でも時々母親と話したくなる。
特別マザコンというわけではない。むしろ親離れ、子離れしていた関係性だった。
上京して1年位は母からも電話はなければ私からも電話をかけたりもしなかった。
母親とは仲が悪いとか喧嘩しているという分けでもなかったけど、私にとってはそうしてくれる方がとても楽だった。
若い頃はそうやってあまり親と関係持たない事がなんだかカッコいいと思っていたのかもしれない。
そんな親不孝な事をして母親にはとても悪いなとずっと思っていた。
今更になって母親に聞きたい事や話したい事が沢山ある。

だからこの母親のコンピューターがあったらいいなと思う。
そのコンピュータで天国Twitterができるようになっていたら尚よい。
母からのつぶやきは「三途の川なう」とか「地獄ツアーなう」
閻魔さまとのツーショット写真がアップされている。地獄で笑顔でピースサインなんてイカしている。
この天国twitterで母親に聞きたい事は「母親の人生は幸せだったのだろうか?」
そしてもう一つ、子供の頃スナック菓子を食べている私に「そのお菓子の袋に鼻くそいれたからね」と言っていたけど、あれは本当なのか?
とにかくこの2つだけを聞きたい。
posted by kyoko at 14:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月02日

ありのままって何ですか?

外から小学生の合唱が聞こえる。
ここ毎日「ありのままに〜」と今とても流行っている例の歌が聞こえてくる。
子供達は何にも考えないで歌っているけど、私は「君達はそんなに抑圧されているの?」とふと思ってしまう。
この映画を見た事無いし、何を意味して「ありのまま」って言っているのか分からないけど、仮に私がありのままに生きたらとんでもない事になってしまいますよ・・・と少し苦笑い気味に思う。
「ありのまま」とか「自分らしく」とか「自然体」という言葉は聞こえはいいけど、本当のところ私には良く分からない。
子供の頃から常に普通でありたいと思っていた。
人と同じように、思い考え行動する。それが孤独にならない事だと何となく思っていた。
でもその反面、中学生頃になると学校で流行っている皆が「良い」という物に同意しない自分もいた。
普通でありたい、浮いた存在になりたくないと思っているのに矛盾している。

孤独になりたくなければ、大多数と同じ考えでいるのが大切なんだ。
「ありのまま」になるには孤独に耐えられる精神が必要なのではと思う。
そして孤独である人はカッコいいとも思うのです。

「ありのまま」を推奨するならもっと世の中が変わらなくてはダメなような気がします。
まず最初に「友達100人つくるんだ」という歌を即刻廃止するべきです。
ありのままの自分を100人の人が受け入れてくれる訳ないのだから。

たかが子供達の歌声でそんな事を思ったので書き留めてみました。


posted by kyoko at 14:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする