2011年01月09日

パソコンの中から出て来た文章

この前、鼻の奥の脳に近い部分がカチカチいっていた。歩く度にカチカチいっていて何かの部品があたっているみたいだった。

今日はカチカチいっていない。あんまり歩いていないからかしら?それともお鼻の穴からポロッととれてしまったからかしら?

思うに多分あの時のカチカチは警告なんだよ。これからおきるであろう事の。それを感じ取る力がついたと言う事だよ。ただそれが何だかはまだ分からないわけど。変な虫とかが入った訳ではなくて、ロボットでもない。精神の警告なんだよ。

あの日、確かに私は落ち込んでいて、夜も眠れずにいたんだ。それは自分の現実を直視して、弱いが故の落ち込みで。だけど今、時間液に溶け込んで、あの時のあの気持ちは薄まっている。此れでいいのだろうか?
とことん落ち込むべきなんだ。もういちど時間液を濃縮させる事にするよ。

私は鍋の中にに時間液を注ぎ込みガスコンロで温める。やがて沸騰して蒸気が湧き出て煮詰まって行く。あの時の私の心のようだ。ポコポコと穴があいた頼りない心のようだ。



posted by kyoko at 01:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月07日

お正月に思った事とシリトリを更新しました。

年末に行ったライブ(ヒカシューとキノコホテル)の事とか、見た映画の事とか書きたい事が沢山あるのだけど、本当に速度をあげないと追いつかないのです。
お正月にふと思った事があって、私今まで生きて来て友達にとても失礼な事を沢山言って来たなと。若い頃は特にそうで、そして今も失礼な事沢山言っているよ。
なんかそれを思うと急に恥ずかしくなってしまって。
私は常に色んな事を我慢しながら生きている。
「こんな事を言ったらバカだと思われる」と思いながら、我慢しながら生きているのだけど。
それでも言ってしまう。バカな事と失礼な事。そしてみんな怒りもせず許してくれている。
本当に有り難い事です。今年はなるべく失礼の無いように生きて行きたいです。
そんな事を考えていました。


そしてこれは出さなかった年賀状の一案です。
USAGIKUN.jpg


そしてこれはシリトリの絵です。今年最初に描きました。
tugaru.jpg

今年も頑張ります。
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2011年01月02日

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
今年もあたりまえのように、とても律儀にお正月君は裏切る事なくやって来た。
穏やかな天気の中、西武線に乗って新井薬師にある梅照院に行った。
ここで引いたおみくじは凶で、願い事叶わず、商売も損ばかりで、何をしてもねたまれ、無くし物は見つからず、待ち人も一向に来ないらしい。
確かに私はMだか、こんなにことごとくダメと言われている文章を読んでいると気分が悪くなる。
神様からのS行為は私にとっては快楽ではないので全部読まず枝に結びつけそそくさと帰る事にした。
そしたら胃が痛くなり「もしかしてこれが凶の奴の仕業なのか。だったらこれくらいの痛みは我慢するわ。」と思い胃薬を買った。

まったりとした空気、うかれている子供達、穏やかな天気。いつもの賑わいと違った電車の中。何だか皆心に余裕があるような感じだ。平和だなとそう思うと同時に、この駅のホームにミサイルが飛んで来たらなどと妄想しながらうとうと電車の中で寝てしまった。
はっと目が覚めるとオレンジ色の団地が目の中に吸い込まれるように入って来た。
雲の裏に透けて見える太陽のオレンジがジワジワと滲み出ていて団地たちをオレンジ色に染めていた。
つんつるてんのイチョウ並木、何だか何処かで見た事ある風景だなと思った。遠い昔子供の頃見た事あるような風景。何だか寂しいなと思った。お正月では無いみたいな不気味なくらい静かな町だった。止まった時間の町みたいだった。



何をこんなつまらない事を書いているのだろうと自分で気持ち悪くなる事もあります。
こんな書いたり書かなかったり、削除したり、文章だけ書いて公開しなかったり、そんな事ばかりしているブログをあきもせず読んで頂き有り難うございます。
今年はどんな事が書けるのかしら?と私も楽しみなのですが、もう何も書けないのかしらと思う事もあります。文章も絵も。
でももう何にも浮かばないと思いながらも絞り出すようにやってこれたので今年もぎりぎり精一杯やって行こうと思います。
拙い文章、拙い絵を、拙いなりに自由に楽しく一文字でも多く、一枚でも多く、創りだして行きたいと思います。
何かを絞り出すって、本来の自分に近づく事なんだなと最近気付きました。

本年もなにとぞどうぞよろしくお願いいたします。
posted by kyoko at 20:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月28日

散々な散文

この場所から離れたかったから何にも用事がないのに近くのコンビニに行った。
途中、腰が円状のお爺さんがゆっくりとゆっくりとレジ袋を持ちながら歩く。
私は簡単にすいすいと追い越す。
多分私はこのお爺さんよりもこの先長く生きるであろうと思いながら追い越す。
お爺さんはこの先の人生を毎日この速度で生きるので、死ぬまで出来る事といえば物凄く少ないだろう。でもお爺さんの時間はユックリだ。彼の感じる一日とは速いのだろうか?遅いのだろうか?と考える。
私はお爺さんを容易く追い越せるのに、物凄く速く歩けるのに、私の速度はユックリだ。
時間が矢のように突き刺さるばかりで、遠い空の彼方、矢が飛んで行くのを、点になって行くのを見つめているばかりだ。
もしかしたらお爺さんの方がとんでもなく充実した日々を過ごしているかもしれない。
もしかしたらお爺さんが又何か一つ成し遂げているかもしれない。
私はコンビニで低脂肪牛乳とちぎりパンを買った。
家に帰りカフェオレを作りパンをモグモグと食べた。
時間は何を中心にして回っているのかしら?
私とお爺さんの時間は同じようで全く違う。
2日前から描いている絵がなかなか出来上がらず、私はこのままお婆さんの時間になってしまったのではととんでもない焦りを感じた。

私には未だ時間がある事が幸せだ。
私には愉しみが沢山ある事が幸せだ。
私には好きな曲がある事が幸せだ。
私には好きなマンガがある事が幸せだ。
私には太陽があたるから幸せだ。

あることが幸せなんだ。
無い事を不幸だと思う概念を海に放り投げたら
私は物凄く幸せになった。
無い事では無くて、ある事を捻出しよう。
入念に、丹念に、捻出したら
よくお腹が痛くなる事も、幸せのしわ寄せだと思えば、
なんて事無い事だ。

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2010年11月17日

物語の奥側を想像する。

先日行った国立科学博物館の「空と宇宙展」では宇宙よりも、飛行機の展示が殆どで、飛行機に興味がないせいか素人の私には分かりづらい内容だった。
飛行機マニアにはヨダレものの展示なのかもしれないが。

そんな事もあり、今回南さんにさそって頂いた映画試写「アメリア 永遠の翼」にはとても期待して見に行った。
「大西洋を横断した初の女性となったアメリア・イヤハート」の映画。
飛行機素人の私はこのアメリアという女性も全く知らない。
そして飛行機がビュンビュンとんでいる今しか知らない私には、この時代に女性パイロットになる凄さが今いち分かっていない。頭では大変なんだろうと思うが実感がない。

舞台は1928年古き良き時代のアメリカ。
この時代も好きなので町並みや洋服を見ているだけでも楽しめた。
多分この時代のアメリカは、アメリカに限らずだけど男尊女卑が酷かったと思う。
その中で女性パイロットで活躍するのには大変な苦悩や葛藤や誹謗中傷も多々あったと私は思う。
その中でくじけず飛び続けるという物語を期待したのだけど、その男尊女卑の部分は描かれていなかったのでその点はちょっと残念でもあった。
この時代に女性が男勝りに活躍する事の難しさや心境など、もっと心理にぐっとくる物があってもよいかとも思う。
でも他は事実に基づいている内容らしく、派手は脚色もなく好感は持てた。
後半に行くにつれ尻上がりに面白くなり画面に釘付けになった。

アメリアにはとても応援してくれる良い夫がいるのに、不倫をするのだけど、初めその行為にはちょっと理解できなかった。自由をはき違えていると。
でも良く考えてみれば男尊女卑の中、自由に生きる女性になる為にはある意味男性的な部分ももっていなければやっていけないのかなと思う。
そう考えると、女性が男性以上に活躍する為、自由になる為に、アメリアにとって不倫は精神的の何かの支えに必要だったのかもとも思う。


それと、「空と宇宙展」で飛行機のお勉強をもっとしておけばこの映画に出てくる飛行機を見るだけでも楽しめたのではと思う。
とにかく凄そうな飛行機ばかりだった。


posted by kyoko at 14:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

リンクを追加しました。

福井先生のイラスト教室で一緒で、お世話になっている素敵な絵を描く篠原いづみさんのホームページをリンクしました。
posted by kyoko at 16:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間引きができない

ベランダのベビーリーフちゃんが茂って来た。
NHKの園芸番組の先生は優しい顔で「成長の悪いのは間引きをしましょう」とニコニコしながら言っていた。
私は「あ〜これが噂の間引きか」と思いながら間引きをする事にする。
植物の世界も弱肉強食で、人間世界とは変わりない。
もって生まれた能力や遺伝子で一生は決まってしまう。
ただそこに同じ環境で生えているのに、成長が悪かったりすると間引かれる。
成長の良い者に栄養が行き渡るようにと犠牲になり殺されてしまう。
そして生き残ったベビーリーフちゃんは栄養を沢山とる事が出来スクスクと大きくなる。
だから、ここまで大きくなったのには沢山の犠牲リーフちゃんがいる事を忘れてはいけない。
私は生まれつきの弱者の味方。
多分私自身が弱者だから弱者の味方。弱い物は生きる権利がないなんて切なすぎる。
だから間引きをするのが心苦しいのです。
間引きをしたベビーリーフちゃんには「ご免ね」といい美味しくいただく。


posted by kyoko at 15:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月07日

メルヘンちゃんの爽やかな日々。

猫ちゃんを捕まえた空き屋は更地になりました。
そこにマンションでも建てられたら暫くは煩いし、日当りも悪くなるし嫌だなと思っていたら地面をカチコチに固め始めたので、どうやら駐車場になるようなのでホッと一安心。

ベランダのお花やお野菜たちも一安心して今日もフニャフニャと元気な笑い声が聞こえてきます。
最近はビオラちゃんの種を蒔きました。暫くすると芽が出て来て、あれよあれよとヒョロヒョロ長くなってそれを見て喜んでいたのだけど、本当はヒョロヒョロともやしみたいに伸びてはいけないみたいで、それなのに私は日々ずんずん伸びている茎を見て「天井突き刺すね〜」と喜んでいました。
本当は芽が出たら直ぐに日に当てないといけないみたいで、もやしみたいになってしまうのはよくないようです。
そんな事は全く知らなかったし、ご本にも書いていなかったので予想外です。
ごめんね、ビオラちゃん。と私の涙がビオラちゃんにポトンと落ちました。
そしたらビオラちゃんは「大丈夫だよ」と小さな声でささやきました。
あんまり人と話さなすぎて、とうとう私はお花とお話ができるようになりました。
吐き気がする程メルヘンです。

例の猫ちゃんの事はたまに気になって思い出したりしてました。
元気でいるかしらと。
そしたら今日、猫ちゃんを一晩だけ預かると言ったきり私の事を避けている同じマンションの1階に住む、小学生の女の子の家の台所の窓越しに猫ちゃんが座っているでは!
窓にははっきりと猫ちゃんのシルエットが。大分大きなシルエットが!
ここはペットを禁止しているマンションなのに手放せなくなって飼っているようです。
元気でよかった!と私は嬉しくなってピョンピョン跳ねながら部屋に戻り早速ベランダのお花、もうかれてしまったエキナセアちゃんに「猫ちゃんが元気だったよ」と教えました。
エキナセアちゃんはしゃがれた声でお歌を唄い始めました。私が大好きな曲「猫にロマン」を唄い始めました。
他のお野菜達、ネギちゃん、子かぶちゃんもピョンピョン跳ねながら唄い始めました。
私はなんだかもうお野菜たちが友達みたいになって食べれなくなってしまってます。



posted by kyoko at 23:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月02日

エル・トポ

1日は映画の日なのでエル・トポを見る。
約20年くらい前、私がまだ生娘だったころ(いや生娘では無かったかもしれないが)見た映画。これを見て「私、こんな映画を求めていたのよ」と思った。
何これ?前衛っていうの!場面場面が見た事がないアートのようだった。訳分からないけどめちゃくちゃ凄い!!そして猛烈に狂っている。衝撃だった。
それから立て続けにこの監督の映画「ホーリー・マウンテン」「サンタ・サングレ」も見た。
生娘だから色んな事に敏感だった。

それで昨日久しぶりに見て、見ているうちに色々場面が蘇って来て鼻息あら目になった。
デジタルリマスターとかいうやつなので、空の青がとても青く、そして毒々しく、血の赤がよりいっそう画面を引き締める。
エル・トポとは「もぐら」という意味だそうだ。
もぐらは地面を堀、掘りすぎて地上にでてしまうと太陽の光でしんでしまうと言う説明で映画は始まる。この言っている意味が映画の最後で分かる。
メキシコの砂漠を黒装束のガンマン(エルトポ)が馬に乗り、後ろには全裸の自分の息子をのせ旅をする。しかも黒い傘をさして馬に乗っているのがカッコいい。子供が全裸なのは何でだかは謎。
冒頭エルトポは息子に「もう7歳になるのだから母親の写真とぬいぐるみは捨てろ」と言い砂に埋めさせる。子供が砂に埋めている間エルトポは小さな笛を吹いていてその音楽が良い。
映画全般に流れる音楽が凄くいい。
そういえば「子連れ狼」にもにたようなシーンがある。
拝一刀は小さい自分の息子に、刀か鞠のどちらかを選ばせてもし鞠を選んだら殺すと言うシーン。

グロくて残虐で背徳的なのだが不思議と嫌悪感はない。何故か私には笑える所もある。
沢山のフリークスが出て来て、神秘的で宗教的で哲学的でもあり何だか神がかっている。
やっぱり凄い。凄くて面白い。前に見た時の理解度よりは少しは進歩したけどそれでも訳わからない。
理屈ではなくて、訳分からないけど何だか強烈なパワーを感じて凄いというのが好きだ。
もっと変な映画を沢山見たい。本も読みたい。音楽も聴きたい。それらで埋め尽くされて再構成したい。
posted by kyoko at 16:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月30日

見た映画を忘れないように書き留めます。

映画「NUDE」
南さんが映画試写に当たったので誘って頂きました。
エロい=私が喜ぶの方式で誘って頂きました。
人気AV女優みひろさんの私小説の映画です。
私はこの人は知りませんが人気AV女優だというのだからきっとAVへの物凄いプロ根性的な物を見れるであろうと期待しました。
でもそれは全くの期待外れで、思い出スケッチ風に美化した、みひろさんの自己満足的映画です。
本当は女優になりたい、でも今はその足がかりにAVをやっているのよと嫌々やっているように私には見えました。
何が言いたいのか、何を伝えたいのか全く分からず潔さもありません。
「私はSEXとお金が好き。だからこの仕事が天職です。誇りです」
と言っているAV女優さんの方がとてもカッコいいです。
多分みひろさんも人気AV女優なのですからこの仕事が好きで、真剣に取り組んでいたと思います。私はそうなるまでの心の動きやプロ根性が見たかったのです。真実が見たかったのですが全部かっこつけの綺麗な言葉でごまかされているような気がしました。残念です。
そして私の疑問「女優になりたかったのに何故AV女優に行くのか?」の答えはありませんでした。
心を動かすものが何一つありませんでしたが、主演女優さんのヌードが見れた事は良かったです。潔いです。


映画シングルマン。
NUDEがあまりにもつまらなかったのでリベンジという事でまたまた南さんに誘って頂きました。
ゲイの映画は好きで結構見る方ですがオヤジのゲイの映画は初めて見ます。
60年代の設定のこの映画は全てがお洒落です。
画面の色が昔の写真で撮ったような落ち着いた何とも言えないモダンな色です。
50代の大学教授の主人公は16年付き合っていた恋人を交通事故で亡くします。
それを知った後の絶望と苦悩の深い悲しみの中で生きる意味を見つける間の一日だけの映画です。
私はゲイではないのでそんなには共感は出来ないだろうと思ってましたが怒濤のように押し寄せてくる悲しみを押し殺すような堪えた表情が私の心に深く強く入り込んできます。
決して泣き叫ぶ事なく主人公は自分自身の死の準備をします。
主人公の教授が自分の心の中の悲しみの海に溺れながら、そこから見ている外の風景がスローモーションになったり、楽しげな隣の家族の風景が悲しみのフィルターを通しみているようで、そして突然現実世界にぐわっと引き戻される感じが、私が物凄い悲しみの海に潜っている時の感覚にとても似ていて少しだけ辛くなり、そして上手いなとも思いました。
60年代のゲイはとても差別されていたと思います。
変態扱いされていたと思います。結婚して、家族を持ち、子供を生む事が人間の幸せで義務であるように植え付けられた常識に逆らって生きて行くという事は私には想像の付かない程の孤独と不安がると思います。
マイノリティーとして生きるという事は孤独に耐えられる精神も必要だという事です。
そして私はマイノリティーとして生きる人を差別して常識を問う人をとても軽蔑します。
もっと人間の精神が自由になればよいのにと思います。
ゲイの恋人が死んだという設定にするというのは、そんなマイノリティーとして生きる人の孤独というのも伝えたいのではと思います。
普通の男女のお話でも同じような内容にもなると思いますが、テーマは一つ欠けてしまいますし、ここまで深くは考えません。
内面的なとても面白く好きなテーマな映画です。

映画キャタピラー
この映画を見たのは若松孝二監督が好きというのもありました。
『エンドレス・ワルツ』は何度も見ました。
それと寺島しのぶさんの演技を見てみたかったのです。
映画の内容は大体は分かっているし、画面は単調だし、だから全ては寺島さんの演技にかかっている映画です。
旦那役の男優さんも凄かったですが、寺島さんの凄さには圧倒され途中『ウッ』と声が出そうになりました。
けして戦争を美化せず、戦争の醜い所、目にしたくない所を徹底的に映し出す所がこの映画の価値がある所だと思います。
この映画はアメリカで上映するべきですが、アメリカでも上映するのでしょうか?


posted by kyoko at 20:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月14日

可哀想なジュン

ジュンが死んだ。
夜中に何度か苦しそうなうめき声が聞こえてきて、朝見たらもう死んでいたそうだ。
ジュンは9年前、父親が知り合いから貰って来た。知り合いの家は犬が飼える環境ではないというので貰って来た。
柴犬に似た雑種の可愛い子犬だった。
知り合いは私の家に来て、ここだったらきっと幸せに暮らせるだろうと、とても喜んでいた。
父と母がまだ生きていた時は大切に飼っていた。散歩も毎日行きジュンは幸せだった。
母が死に、父があまり出歩く事が出来なくなってからは誰も散歩に連れて行かなくなった。
兄も、兄嫁も、姪っ子、甥っ子も犬の事など気にかけるような人では無かった。
だから散歩は私が年に数回実家に帰った時に連れて行くだけで、ずっと鎖に繋がれているだけだった。
だから私が帰るとジュンは狂ったように暴れて私に飛びついてペロペロ舐めた。
私はジュンが可哀想で東京での生活の中でもたまにジュンの事を思い出していた。
夜中にジュンは未だ生きているかな、元気だろうかと思い出したりした。
それでもジュンは大分長生きした方だ。家族の生活の中にジュンは入り込む事は出来なかったけど、今は父と母に散歩に連れて行ってもらえていると思う。

1年前のジュン。私を発見するとワンワン吠えるジュン
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オシッコをしているジュン
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2010年09月07日

さよなら、木ちゃん。

三階建てのマンションより高いりっぱっだた木の最後を看取った。
まるで人間のように老衰して枝にははりがなくなっていた。
そんな木にショベルカーが何回も何回も打ち付ける。
その度に木はグワンクワンと大きく揺れ、枯れ葉が舞い、それでも木は最後の力を振り絞り必死に大地にしがみつこうとする。
でも10数回のショベルカーの攻撃に力つきドサッと地面に叩き付けられた。
沢山の枯れ葉が高く、高く宙に舞った。
お陰でベランダからの見とうしがとても良くなった。
この木で遮られた風だって入るようになるだろう。
枯れ葉がベランダに溜まる事も無くなるだろうし、うるさかったセミも来なくなるだろうよ。
鳥の鳴き声だって正直毎朝うるさかったんだ。

小学校の校舎の取り壊しを思い出した。
木造校舎を鉄筋校舎に立て替えると言うので解体作業を全校生徒で見守っていた。
物凄い砂埃の中校舎は地面にペシャとなって、まるで地震のあとのようになって、何人かの女の子はそんな姿を見て泣いていた。
暫くすると新しい校舎が建ち、その真新しさに喜び、皆あの木造校舎の事はすっかり忘れていった。
でも今夢に出てくる小学校の風景はあの木造校舎だったりする。

木ちゃんの事は暫くしたらすっかり忘れるだろう。
人間の得意技「忘れる」は嫌な事と一緒に大切な事まで忘れてしまう。
嫌な事を早くに忘れたい場合は、おしっこをする時に身体からおしっこと一緒に嫌な事を出すようにイメージすると本当に忘れてしまうそうだ。
だけど下手をすると忘れてはいけない事も忘れてしまうのでトイレの前で暫く悲しい顔で立ち尽くす事もあるかもしれない。
そうしたら忘れた事を忘れるイメージで又おしっこをすればいい。
そうもう初めからなかった事にすればいいだけ。
木ちゃんだって初めからなかったんだよ。
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2010年09月06日

公房先生へ

不条理とかナンセンスのその先に深い意味なんて求めてはいけないですよね。
だって夢なんだもん。
これ安部公房先生が見た夢のお話ですよね。
読み終わって、冷静に考えて、私なんだか騙されているような気がするのです。
どうしたらこんなに凄い夢を見る事が出来るのですか?
いえ、どちらにしろ小説も夢も同じそも人の創作物だから、夢の話と知らずに、普通の小説として読んでも面白くて。本当にどシュールでぶっ飛んでいて。
私、先生の本を読むのこれが初めてなんです。興味があって何年も前に何冊かは買ってはいたのだけど、ずっと本棚に眠ってました。それで先日思いついたように本棚からふと手にとった「笑う月」
この本は安部公房先生のご本を何冊か読まれた方が読む本みたいで、私、マニアが手にとる本をいきなり最初に読んでしまったのです。
中でも「鞄」と「公然の秘密」はとても深くて面白かったです。
夢の話を書くって、いわば無意識な自分の心理状態を書くような事だからなんだか先生の事をとても知ったような気分にもなりました。
それで、もうすっかり先生の虜で、もっと知りたい。先生の事もっと知りたいし、何でもっと早く読まなかったのかしらと何度も思いました。
そんな先生の本を読んだら先生の事をもっと好きになる確信があります。
読んで行くうちに私の頭の悪さに苛ついたりもしたのです。
こんなのでは先生の本を読むのに似合うような女では無いわって。
だから先生に少しでも近づけるように又先生のご本を読みますね。

それとこの本の装幀と中の挿絵(コラージュだったり、立体的な物だったり)がとってもかっこ良くて、他の先生の本の装幀もとっても素敵でした。


posted by kyoko at 02:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月03日

8月のまとめ

8月は私の中に沢山インプットした。
沢山見たり聞いたりした。
田名網敬一さん、伊藤圭司さん、森永博志さんのトークショーから8月は始まった。
田名網さんの夢の話がとにかくぶっ飛んでいて、作品は夢から作るそうで夢を見たらノートに書き留めているそうだけどそれをし始めたらさらに変な夢を見るようになったそうだ。
「人間は死ぬから創作する」
「外から入ってくる刺激で創作するのではなく、自分の中から出てくるもので創作するから、アイディアがつきる事はない」
というような事を言っていた。
横尾忠則さんも夢を絵に描いていてとにかく奇妙な絵を描いていた。
今読んでいる安倍公房さんの「笑う月」という本も自分の夢の話の本で、安倍さんは夢を見たら直ぐに自分の声で録音して、それらの夢が小説のアイディアの種となり、それは直ぐには使わなくても何十年経って、アイディアの種が育って小説にする時もあるそうだ。
とにかく色んな事をメモするのだけど、メモの内容はさほど重要ではなくてメモするという行為が重要だと言っていた。
「夢は無意識の創作ノート」と言っていたのも面白い。

人の夢ほどつまらない物はないと思われがちだけど、天才は夢を物凄く大切にしているし、とても素敵に料理している。
私も夢に引きつけられる気持ちは物凄く分かる。

8月で最も印象的だったのがヒカシューのライブ2Daysで1日目の超歌謡も2日目も素晴らしかった。特に1日目のスキヤキエトフェーと2日目のゴジラのテーマからのの演奏は鳥肌もので身を乗り出して口をポカンとあけて聞き入っていた。
とにかく素晴らしくて、終わると「こんな素晴らしい音楽をもっともと沢山の人に聞いて欲しい」といつもいつも思う。

それに東京タワーに行きノッポンにあい、番狂せでの南さんの個展で画力にクラッと目眩がしたり、ゲゲゲ展も見に行った。
他にも書ききれない程沢山みたり聞いたりした。

9月、今度は沢山私から出力したい。



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これは18禁の展示風景です。
結局、大阪にはいけなかったのですがさそって頂いたいずみ朔庵様が写真を撮って送ってくれて本当に嬉しくて感動しました。
やはり展示は会場にいかないとダメだなと感じました。

posted by kyoko at 02:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月02日

エコとチェンソー

例の猫ちゃんを捕獲した誰も住んでいない一軒家もとうとう取り壊されて、庭にあった沢山の木々も伐採しはじめた。
ここに住み始めた頃、早朝沢山の鳥の鳴き声で目が覚めた時、物凄く感動したのに今は鳥達は何処かにいってしまって鳴き声が聞こえず悲しくてしょうがない。
見た事もない鳥が沢山いたし、庭にある小さな池では鳥達が水浴びをしていたり、夜中には鳥の寝言だって聞こえてきた。
エコだエコだと言うけどエコという名をかりてお金儲けしているだけで、それが悪い事だとは思わないけど、でもたった数本の木を残す事さえ出来ないのなら、もうこれ以上綺麗事は言って欲しくない。
何処かの大企業のCMでイチローが「CDは買うのを止めてダウンロードするのがエコ」などとふざけた事を言っていたが、このコピーを採用した企業も信じられない。
車で買いに行くのがダメだというのか?
それだったら大リーグを無くす方がよっぽどエコだ。
CD店が潰れまくっている今、アナログレコードをたまに買ったりする私にとってはダウンロードなんて訳分かんないし、何でもエコに繋げるこの発想が安易すぎるし、ちゃんとした立派な大人が考える事かと思うと不思議でしょうがなかった。

毎日チェンソーの音で目覚め、昼間は耳栓でしのいでいるけど、この音が聞こえる度に胸が痛くなる。
私だって環境破壊的な事をしているし、私が生きているだけで破壊しているので私の言っている事も綺麗事の偽善だとは分かっている。
たまたま私の近くでこういう事が起こったからこんな事を考えるのだけど、地球上では木の伐採なんて平気でやっている事だし、こんな事にいちいち胸を痛めてもしょうがない事は分かっている。
何にも感じない、何にも考えない楽な方法もあるけど、そうしたいけど。
でも毎日聞こえるこのチェンソーの音は本当に痛くて、辛くてしょうがない。

それと音楽は本当に好きだったらCD店で買ってジャケットも丸ごと愛して楽しもうよと思う。
posted by kyoko at 12:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月12日

色んな意味で試される

感覚を文章にするのって不可能だと思っている。
それは私の感覚であって、私の感覚の中には他人は入れないから。
同じようなというのはあるけど、細かくは違う。
でも分かってもらう為に書くのではなく、感覚を蘇えさせる為に、残しておこうと思い書く。

Jazz art せんがわ に行って来た。音楽とartは好きだけど、Jazzに特別興味ある訳ではない。
ヒカシューのライブもあるから、それと何だか面白そうという予感だけで行って来た。
それで予感は当たっていて、それは予想以上に宇宙だった。
自由即興、やばかった。
2時間あったのだけど本当にあっという間で、こんなにも面白いとは思わなかった。
一晩中聞いていられるくらい面白かった。
色んな楽器の奏者を適当に選んで舞台に立ち、打ち合わせもなんにも無しに演奏する。
上手く行く場合もあるし、失敗する場合もあるし、おかしな感じになる場合もあるし、でも確かに目の前で音が生まれている。
普段、分かりきった聞き慣れた音楽ばかり聞いている耳に生の音が剥き出しで入ってくる。
私は何だか試されている感覚になる。受け身ではないんだ、音を求めに聞いている感覚になる。
宇宙に地球が誕生したのもいろんな偶然が上手いように重なってたまたま地球が誕生して人間が生まれたのと同じように、いろんな偶然が出会ってすっごい音が生まれる。
それを私は感覚を研ぎ澄ませて求めている感じがしたんだ。
やばい!自由即興って宇宙なんだ!
Jazz artせんがわ のコピーに
「飼いならされた耳が大空にはばたく時」
というのがあって、本当にその通りだと思った。
私の耳は飼いならされている。誰かが仕掛けた音の奴隷になっている。
そんな安心して聴く受け身な音楽から解放されて耳ももっと自由にならなくては。

本当にやばい3日間だった。
1日目のパレードとオープニングセレモニーから行って来た。
パレードはへんてこなかぶり物をして町を練り歩く。

PICT0006.JPG

オープニングセレモニーは関係者ばかりで普通のお客さんはあまりいなくて、それでも出演者等と一緒に乾杯をしたのも何だか凄い。
そこにはJazz屏風という数人しか入れない箱の中に谷川俊太郎さんがいらしてお客さん一人ずつ入り自分の誕生日を言うと谷川さんが誕生日の詩を読んでくれる。
それがもう特別な事ではなく谷川さんがそこにいるのが自然な感じで、とても凄い事なのに私も1対1になって詩を読んで頂いた。
そして2日目は自由即興を見て3日目はヒカシューのライブとそれから後のは全部見た。
「John Zorn's COBRA 東京せんがわ作戦」というのもかなり面白かった。


この公演の間に時間があったので近くのカフェで夫としゃれこんで茶をしばき倒しに行った。
私の斜め前には黒人家族が楽しそうに話をしていた。
その後、年配のお婆さんが店に入って来て他にも席が開いているのにその家族の直ぐ前のとても狭い席に無理矢理入り込みセルフサービスなのに定員を呼び寄せコーヒーを持ってこさせ物凄い貧乏ゆすりをしながらコーヒーを飲んでいた。
暫くするとそのお婆さんは席を立ちその黒人家族の男性に話しかけていた。
黒人男性も初めは笑顔で会話していて何を言っているのかあまり聞き取れなかったけどニコニコしながら「でも色とか関係ないですよ。大切なのは心ですよ」などと言っていた。お婆さんは白人がどうのとか黒がどうのとか言っている。
私はそのやり取りを片耳でぼんやり聞いていると黒人男性が大きな声で「じゃー黒人は店にはいるなというのか!」とどなりお婆さんと口論になりエキサイトしてきた。
店員は忙しそうでこの喧嘩には気付いていない。
店員を呼びに行こうかしらと思ったら夫は黒人男性とお婆さんの間に入り込み、とっさに私もそこに入り「婆さん、もう帰れよ」と言っていた。
お婆さんは「まだコーヒーが残っている」と言ったので「じゃ離れた席で飲みなよ」と言ったらすんなりと店から出て行った。
なんだか気分悪いやと思い店を出て駅前をフラフラ歩いていたら足下からチャリンと音がする。
見たら鍵が落ちていて、近くに交番があったので届けに行くとお巡りさんとおばさんが話をしている。
長引きそうなので私は「お巡りさん、落とし物」と言って鍵を渡すと隣にいたおばさんが「これ私の!」と言ってビックリしていた。
さっきのカフェの出来事といい落とし物といいまるで私は何かに試されているのではと感じた。
そして家の帰り道のコンビニで買い物をしたらレジでくじ引きをして下さいと言うので引いてみたらカップラーメンが当たった。
何かに試されて合格したのか、不合格なのかは分からないけどカップラーメンが貰えて、まあいっかと思い布団に入った。



posted by kyoko at 11:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月04日

コラージュ・バージンとかゾンビとか宇宙とか展示とか

1日木曜日
映画の日なので『サバイバル・オブ・ザ・デッド』を見に行く。
ジョージ・A・ロメロ監督は70歳になってもゾンビ映画を作っているので凄い。なんだか貫いている。私もそういう人になりたい。
ゾンビ映画やホラー映画は出来るだけ映画館で見るようにしている。
その後、番狂せで、わたべめぐみさんの個展の初日なので見に行く。
カッコよくて上手くて味と深みがある風景画が沢山で見とれながらビールを飲む。
風景だけで勝負するなんて潔いと思った。
私も久しぶりに風景が描きたくなった。

2日金曜日
先月展示した「猫のゆりかご」メンバーとマルプさんの若人とで早稲田にあるお洒落カフェCat's Cradle(猫のゆりかご)に皆集まる。
なんだろう、この仲良しっぷりは、、、と思う程皆仲良しだ。
みんな良い人で楽しい。出会えて良かったと思った。

3日土曜日
なおこちゃんメギーちゃんとでユトリロ先生と猪熊先生の展示を見に行く。
ユトリロ先生の風景を見て更に風景が描きたくなる。
猪熊先生には衝撃。私ももっと自由に描きたくなる。

4日日曜日
イカレ組のたじまひろえさんに誘われてコラージュのワークショップへ。
その前にHBギャラリーに行きこれ又イカレたカッコいい絵を見る。
作家さんと初めてあったのに掛け合いのような、イカレの罵り合いのような会話をする。
これが又テンポ良く波長があい(私が思っているだけかもしれないが)イカレた絵を描く人はやはりいい人だと確信。
その後お目当ての伊藤桂司さんのコラージュのワークショップへ。
伊藤桂司さんのコラージュは最近知った。凄くカッコいいし宇宙だ。
そしてカッコいい〜このデザイン!誰だろうと思っていたのも伊藤さんの作品だったのが結構ある。
スチャダラパーのCDのジャケットや光淋社から出ていた雑誌FREAK OUTの表紙の絵とか。
コラージュはやってみたいと思っていたのだけど、私ダサイしなと思っていたので中々手が出せなかった。
ワークショップの最初に「宇宙に繋がるように」などと伊藤先生は言っていた。
「宇宙」という言葉に反応して私とたじまさんは「やっぱり宇宙だよ!」と言い合い嬉しくなった。
時間が1時間だから迷っている暇が無い、それが又良かった。
とにかく持って来た雑誌などを切り、あまり考えず面白くなるように貼る。
どうしたら良いか分からない。正解が分からない。でも感覚で貼る。
私「先生、これでいいのか分かりません!先生、正解が分かりません!」
伊藤先生「いいんだよ。このままでいいんだよ!」
といい先生は笑ってくれた。

初めてのダサコラージュ
PICT0047.JPG

今回は短冊コラージュという事でテーマは「願い事」。
出来たのを笹の木に吊るした。私はテーマや願い事なんて忘れて好き勝手に作ってしまった。

PICT0050.JPG

皆さんの作品がとても面白かった。
老若男女が参加しているのでお歳をめした方の選んでいる素材がショウガだったり、たいやきだったりでとっても面白かった。
何よりも皆さん自由でいいなと思った。私ももっと自由になりたい。
私のコラージュはとてもダサイのだけど、感覚的でとても楽しかったのでこれは密かにやって行こうと思った。
ダサさをきわめて行こうと思った。

今日はとても楽しい一日だった。
これからやりたい事など沢山話せた。
ありがとう!タジタジちゃん。



posted by kyoko at 23:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月27日

一夜にして与太者

世知辛いこんな世の中に、動物を愛する優しい天使お姉さんと、住んでいるマンションで評判の私は今日も住民皆に優しさの花粉でもふりまこうかしらと階下に降りると、猫を貰った女の子がいたので優しく挨拶。
だけど女の子は逃げるように自分の部屋へ入ってしまった。
その娘のお母さんも気まずい笑顔だけを残し部屋へ入って行く。
おいおい、一体みんなどうしたんだい?
あーでも世の中こんなものか。
多分私が猫ちゃんを取り返しに来たのだと思ったのだろう。
ちぇっ!と舌打ちしながら自分の部屋に戻りふと鏡をみると、今日着ているTシャツには「Faster, Pussy cat! Kill! Kill!」と書いてある。
cat Kill、私はこのTシャツを着て、にこやかな笑顔で猫ちゃんを助けてた猫殺しってわけだ。
所詮私は与太者よ。
と昼間から飲めない酒を飲み、吸えない煙草をくわえ、またやさぐれた女にもどった訳であります。

posted by kyoko at 07:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月26日

猫ちゃん捕獲作戦

住んでいる家の前に一軒家があり、その庭は木が沢山生えていてちょっとした林になっている。
そこには鳥が沢山いて、とても気に入っている庭なのだけど、月曜日あたりから何かの鳴き声がずっとする。
初め小鳥でも生まれたのかなと思いあまり気にしていなかったのだけど夜中も泣いていて、どうやらそれは仔猫ちゃんのようだった。
雨の日も夜から夜中にかけてニャーニャー鳴いている。
毎日鳴いている。
どうしよう、このまま死んでしまうのを待つなんて出来ない、人の家だしどうしようと思い、塀の外から見ていたら同じマンションに住む人も出て来て「ここは空き家なの」と教えてくれた。
人の家に黙って入るのは良くないと思い一応お巡りさんに言っても「はいはい」という感じであてにならない。
いても立ってもいられなくて「おじゃましまーす」と言い庭に入る事に。
鬱蒼とした庭に入ると猫の鳴き声だだんだん近くに。
発泡スチロールの箱のあたりから鳴き声が聞こえる。
中を見てみる中に小ちゃな猫ちゃんが。
マンションの人5人くらい出て来て「私箱持ってくる」、「私ミルク温めてくる」等と皆が協力して猫ちゃんを捕獲。
黒くて小さな猫だった。細かったけど元気だった。
同じマンションに住む小学3年位の女の子が一晩だけ飼いたいというのでお願いした。
今日の朝、病院に連れて行こうと女の子の家に行ったら猫ちゃんは長い爪で女の子の洋服にはり付いていて、連れて行きたくないと言う。
猫に牛乳を飲ませているというので急いで猫用のミルクと食べ物を買って来て渡す。
もう女の子は離したくないみたいなのでお願いする事にした。
猫を飼える友達を探してくれるそうなので一安心。
いつも会話もしない住人さんだけど、猫ちゃんのお陰で一体になって沢山話した。

posted by kyoko at 10:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月21日

欠落

住んでいる家の前で水道工事しているので平日の昼間は音がうるさい。
いつも窓を開けっ放しにしているのだけど「ドッドッドッドッッッッッ」という音が部屋の中に剥き出しで入ってきて、音楽をかけても、その音もかき消されどっちか雑音なのか分からなくなる。
さらに音楽の音を大きくしてみてもこの工事の音にかき消されてしまい我慢ならないので耳栓をして仕事やらをすることにした。
それまで耳栓はした事がなかったのだけど、なんだか今いる世界ではないような感覚になってきていつも見る風景も無声映画のシーンのような、水の中にいるような不思議な感覚に陥り、少し歩いてみるとちょっとだけフラフラした。
当たり前のように持っている音が聞こえるという機能を耳栓をしてその機能を無くすことで、いつもより集中できるような気がするので何だかこれは良いなと思った。
一人の世界にドップリと入り込む事が出来る。
そして、耳栓を外すと本当の世界の日常がグワッと耳の中に入ってきて現実にヌルっと引き戻されるような感覚になる。

先日アール・ブリュットの展示を見に行って来た。
それは食器屋さんの片隅に展示してあるもので作品も少なかったのだけどどれも面白い作品ばかりでもっと見たいなと思いながら家に帰ったら昨日の日曜美術がタイミング良くアール・ブリュットの特集だった。
耳が聞こえなくて、喋る事が出来ない、手話さえも出来ない絶対的な孤独の中から作った作品や、ゴミを集める事が好きな作者にゴミを拾うなと言うと今度はそのゴミで何かを作り始めたのでゴミを与えると今度は全く作らなくなったといった話なども織り交ぜてありとても面白い番組だった。
欠落したところから吹き出てくる魂の絵。
この「欠落」という言葉を番組内で良く使っていた。
でもそれは欠落なんかではないと思う。
たまたま今のこの世界の人間の大多数がこうであるだけで、大多数がこの番組で言う欠落していると言われる人ばかりだったら、今欠落していないと言われる私みたいな人間が逆に欠落しているという事になる。
もしかしたら人間とは音が聞こえるという機能がないのが当たり前の世の中になっている可能性もあるのだし。
今こういう状態の人間が多いのは、たまたまなんだと思う。
だから今、大多数に自分が属しているからって何にも欠落していないとはいえない。
家の近所の障害者施設の前を通る度にそう思う。

この番組を見て色々と考えさせられる。
絵を描くと言う事、常識とか価値観とか、こうであれと植え込まれたいろんな事とか。
そういう事全てを変えさせるパワーある作品を作る事が出来る人達を欠落していると言うのは違うと思うし、むしろ私の方が欠落していると思う。
私はこの人達の絵にとても感動したし嫉妬もしたし心を動かされたのだから。
posted by kyoko at 01:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする