2011年06月09日

普通が特別な日々はまだ続くのです。

わざとらしい青空が来る前の梅雨が好きです。
好きって感じたのはここ最近で、だって春がきて直ぐに押し付けがましい夏が来たらアジサイも蝸牛もカエルもナメクジも皆干涸びて死んでしまいます。
車にひかれ、仰向けになりペタっと道路にはりついてしまっても、雨に打たれながら最後に見る空はグレーの方がいいよね。遠慮知らずのギラギラ太陽は眩しすぎるよねカエルちゃん。

ねぇ、こんなに寒くて夏は来ないのかしら?と一瞬心配させるような、思わせぶりな女のようなお天気。
そんな肌寒い雨の日にヒカシューのライブに行ってきました。
この数時間がとても大切な宝物ように感じました。
そして聞こえてくる音も詩も震災前とはなんだか違って聞こえてきました。
特に詩の意味が、あの日を境に違った意味も含んでいるように聞こえます。
そのライブでは「地震があってから今まで自分たちがやって来た事がなんだったのかと思うとやる気がなくなった」と言っていました。
そういえば他のミュージシャンの方も詩が書けなくなったとか言っていました。
何かを創る人はやっぱりデリケートなのね。
私なんて4月に個展があるのでデリケートになる暇が無かったのか、私が図太いのか「描けない」というのは全く無くて、切羽詰まってはいたけど、「こんな時に絵なんて描いて良いのかしら」から「こんな時に絵を描ける私ってなんて幸せなんだろう!贅沢なんだろう!」という感情一杯で描いてました。
計画停電や節電で凍えながら、それでも寒くても電気がなくても幸せだよ。
今、私は誰の役に立たない無駄な事をやっているよ。でもね無駄な事が出来るってとても幸せな事なんだよ。

朝、電車に乗ると物凄く込んでいて、計画停電や節電で電車のダイヤが乱れているからみんな何時間も早く家を出たりしているんだよ。不安な事が沢山あるのに、そんな時だってちゃんと会社に行き働いている。前だったら至って普通の事なのに、皆凄いやと感動したのを今でもはっきりと覚えています。
普通な事が特別に感じる日々。本当はそんな風に感じない方が平和なんだろうけど暫くはまだまだそう感じて行くのだと思います。


ホームページに個展の絵をアップしました。
お暇でしたら是非是非覗いてみて下さい。
posted by kyoko at 02:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月01日

新幹線に乗ってさようなら

空が瞳の中にじわじわと溶けてくる
瞳から身体に空が溶け込んで、
色んな色が混ざり合って心にたどり着く。
その色は人の心の分だけ何色もあって悲しい気分のときは悲しい青になる。
暖かくて雲一つない青空でも悲しい青になる。
母が死んだ日はそんな雲一つない暖かい日だった。
庭の芝生はとても青青してて芝生の先っぽの小さな玉が光に反射してキラキラ綺麗だった。
私の中にキラキラが入ってきて、でも私はなんの抵抗もしないで
ただただ暖かい日だまりに身を委ねているだけ。
キラキラは空っぽの心をしとしとと濡らす。
母の死に顔を見た時、涙は全く出なかった。
家に帰る新幹線の中の45分、色んな青が瞳から体中をもの凄い早さで駆け巡り、
全身の血液は涙になって走り回る。
だから悲しみの半分は剥き出しのまま新幹線の中にそのまま置いて行った。
剥き出しの悲しみは新幹線に乗って新潟のどこか知らない街にたどり着く。
海の近くの駅だったらいいなと思う。
カモメがパクリと食べてくれて、青い空を飛び回る。
もしも親切な誰かが、私の悲しい忘れ物を駅の忘れ物置き場に届けたとしても、
私はもうそれを取り戻しには行く気はない。
忘れ物置き場にはきっとそんな忘れ物が沢山あるだろうから、
私の悲しい忘れ物も寂しくないだろうと思う。
悲しい忘れ物達は肩寄せ合い、そこでずっと待っている。
持ち主をではなく塩辛い乾いた風を待っている。
風にのって、空に帰る日を待っている。

今日は母の命日で、東京の空は優しい青だった。
空のずっと上の方に白い鳥が天に向かって飛んでいた。
雲の隙間から光の線が沢山降りてきて
キラキラとした光が私の周りで回っている。
あのときの芝生と同じキラキラだった。

posted by kyoko at 23:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

幽霊なのでしょうか?

5月31日は母親の命日で6月1日は母親の誕生日です。
5月30日の夕方、私はなんだか疲れてしまって横になって少しだけ寝ようと思いました。
うとうとと眠りに入ろうとするぎりぎりの時、部屋に誰かが入って来て覗いているような気がしました。
私は「あ〜そうだ、明日は母親の命日だ」と思い出しました。
すっかり命日を忘れてしまった薄情者の娘を見に来たのかもしれません。

31日私は出かけていました。
家に帰ったら夫が「今日部屋に黒い影がすーと歩いていたよ」
と言っていました。怖い感じは全くしなかったみたいです。
私も夫も霊感はありませんが、「お母さんが来たんだ」と勝手に思い込み喜んでいました。
慌てて母の好きだった物を買いお供えをしました。
posted by kyoko at 23:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

零れ宇宙はまだまだ続きがあります。

28日はとても良い天気で、マンションの階段に太陽の光がさんさんとふりそそいでいて、毎年暖かくなるとムクムクと虫が階段に上ってきます。
この日も虫さんが数匹上って来て「虫さんお早う!久しぶり」と挨拶して出かけました。
道路脇のお花達にも挨拶して、何だかこの世の命ある物全てが愛おしく感じる春!嬉しい春!
この道を行くと天国にたどり着くのではないかしらと思う程素敵な光景。
こんなにも素敵な日に私の個展の最終日を無事迎える事ができました。
こんなに心が穏やかに最終日を迎える事ができるなんて、少なくても50日前のあの夜は考えもしませんでした。
あの地震で東京なんてたいした被害も無かったし、何言っているんだ!と思われるかもしれないけど東京は東京でみんな物凄くショックを受け、悲しんだり落胆したりしたあっという間の日々でした。
福島の人は東京の電気の為に犠牲になっている、だから責めて節電をと思い暖房付けずに描きました。
なんでこんな事になってしまったのだろうと悲しくて泣きながら描きました。
大好きな福島、年末年始は毎年過ごしていた福島、駅も商店街も水没したよと聞いてとても悲しかったし辛かった。
だけど描いた絵は悲しさや苦しさの微塵もなく、明るい絵が沢山描けて、絵に心は反映しないんだと安心しました。
それか、どんなに悲しんでいても心の何処かには未来は絶対に光り輝いているよ!と確信しているからかもしれないです。

本当に沢山の方に逢えてとても幸せでした。
わざわざ見に来て頂いた方々、
見に来れなかったけど気にかけて頂いた方々、
個展の機会を与えて頂いたマルプさん、
本当にありがとうございました。
皆さんの一言一言から沢山の嬉しいを頂きました。
「怪しいね」「面白いね」と言ってもらえました。
私は母親のお腹からでてオギャーと産声をあげた瞬間から皆に「面白いね」と言われる為に生きてきました。
頭がいいねとか、可愛いねなどの褒め言葉より「面白いね」とだけ言われるのが何よりも嬉しいです。
もっと面白い絵が描けるように頑張ります。
本当にありがとうございました。


個展の様子や絵を後ほどホームページにアップします。
PICT0013.JPG
posted by kyoko at 00:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月29日

個展の詳細です。(赤字で追記があります)

dm.jpg

マルプギャラリー第17回企画展
11年4月1日(金)〜4月28日(木)


「零れ宇宙」弘田京子展
頭の裏側覗いて見たくて
みかんの皮みたいにペロっとむいて
ひっくり返して零れた宇宙
不思議だな、気になるな、安心できないな、
そんな絵を描きました。
大好きな家達も描きました。


土日祝日はお休みです。
マルプギャラリーさんのホームページはこちらです。
地図はこちらです

※ご注意:節電の為ギャラリーの電気を消しているので、防犯上、玄関の鍵を閉めています。お手数ですがギャラリーにお越しの方はチャイムを鳴らして下さい。
ご不便をおかけして申し訳ございません。


●作家在廊
28(木)13:00〜17:00

●特別開廊(作家在廊)
4/9(土)13:00〜18:00
4/16(土)14:00〜17:00(この日にお茶会を開きたいと思います)
4/23(土)13:00〜18:00

土日祝日はお休みですが上記の日時は在廊する予定です。
他に在廊日が決まりましたらこちらのブログでお知らせします。

4/16(土)14:00〜17:00
お茶会を開きたいと思います。皆様参加して頂けたらとても嬉しいです。



もちろん上記の日程以外でもお知らせして頂ければ在廊しますのでお気軽に下記までご連絡下さい。
DMを送って欲しいという方も喜んで送りますのでご連絡下さい。
(個展にこれないという方も喜んで送ります。)
hirokyon69-ufo★yahoo.co.jp
「★」は「@」にしてお願いします。


私たち人間も宇宙の一部。
なんだか私はそれを忘れていたような気がします。
どうにもならない災害、そしていつか来る地球滅亡の日。
宇宙のグルグルに身を委ね、いつでも鼻歌まじりで暮らしていたいな。


posted by kyoko at 00:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月18日

ありがとうございました。

土曜日のお茶会に沢山の方に参加して頂き本当に有り難うございました。
当日、地震があったり、少なくても放射能がまっている中来て頂いて本当に感謝しております。
あの地震があってから戦争中までとはいいませんが、いつ何があるか分かりませんので人と逢う事の大切さを感じてます。
正直言うと絵なんて見てもらわなくてもよくて、こういう風に皆と逢えて素敵な笑顔を見れた事が本当に嬉しかったです。
皆に逢えるので、沢山の知り合いに個展をして貰いたいです。

そして、当日暑かったのに暖かい飲み物ばかり用意してしまって反省もしてます。
私の妖艶な色気で接待したかったのですがそれも出来ず、にも関わらず
当日のドレスコードは作ったつもりは無いのですが胸元を開けて来て頂いたので目の保養になって幸せでした。

沢山ありがとうございました。
posted by kyoko at 12:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月13日

愕然とした春

今まで生きて来て一度も選挙に行った事ない夫ですら先日の都知事選に行きました。
そして愕然としました。
いくらご高齢の方の票には敵わなかったとしても、これが都民が出した答えなんです。
皆、真実なんて知りたいと思っていないし、どうでも良いと思っているんだ。
自分の頭の中に勝手に築いた理想的な事を疑いたくないし、崩したくないんだと強く感じました。
以前義母は「国がなんとかしてくれるわ」と本気で言っていて、
テレビの言う事が本当で、それを疑うという事は全くしません。
ある意味純粋で、その純粋が沢山になると、それはとても恐ろしい純粋だなと感じました。

日曜日、高円寺に行ったら駅前は凄い人で、殆どが若者で反原発のデモを行っていました。
私は今でもそうですがデモを行って本当に何か変わるのだろうか?と思っています。
だけど若者は今回の原発でいてもたってもいられない、その気持ちは私も同じです。
そして、テレビのニュースではデモはあまり取り扱いません。
これも不思議でなりません。
ミュージシャンが原発の事をわかり易い言葉で歌ったのも凄いなと思いました。
私はデモも、こんな曲を歌っても直ぐには何も変わらないとは思いますが、一人でも多くこのような事を知って色々考えたり、真実を知ろうとしたら、近い将来今回のような選挙結果にはならないと思っています。
だから意味がないと感じてもこういう事は主張しなくてはいけないのです。
だから私も原発の歌を作って夫に聞かせました。
良い歌だと言ってもらえました。

テレビで説明している原発保安院の人は明らかにカツラと分かる髪型をしています。
自分の禿頭を必死に隠して騙したと思っているのかしら。
あなた達が禿頭だという事も、本当の事を隠しているという事も国民皆分かっているんだよ。
なんだかダサイなと思いました。
こうなったら一人一人の人間性の問題です。
もっとカッコいい自分の美学をもって生きて欲しいです。

なんだかんだ言っても日本という国は好きでしたが、今は好きとは言えません。
日本はいったいどうなっているのですか?私に教えて欲しいです。
まるで悪魔と契約したみたいです。
まるで何かに取り憑かれたようです。
でも私たちは騙されていると知っていても、洗脳されていると知っていても頑張って生きて行かなければなりません。
働かなくてはなりません。
それなのに何だかバカにされているので悲しくもなります。

悲しすぎて愕然とした春、絵をもっと頑張ろうと思いました。



posted by kyoko at 00:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

憧れているんだと思います。

先日見た「Freak Out」もそうだけど今年に入ってからミュージシャンのドキュメンタリーばかり見ています。

映画館では
『友川カズキ 花々の過失』
『bloodthirsty butchers kocorono』
『たまの映画』

DVD
『悪魔とダニエル・ジョンストン』
『アナーキー』


それで分かったのですがこれらのミュージシャンの多くはある意味世捨て人なんです。
歯が抜け落ちている率が高いのです。
でもそんなのはどうってこと無い人なんです。
俗社会の事はどうでも良くて自分のやりたい事だけやっていて
何処までも子供で純粋でこれしか出来る事が無いくらい不器用なんです。
私は音楽がとても好きで、なんで私は音楽をやっていないのだろうと思うのですが、
こういった貫いている人の事を尊敬して憧れているんだなと見ていて思いました。

見ていてとてもヒリヒリとしました。
アーティストってこういう事を言うのだなと思いました。
友川カズキさんは「最初自分には才能があると思っていたけど、だんだんと才能がないと分かって来た。でもそれでも駄作を作る。駄作、駄作、駄作ばかりでもいいんだよ」
と言ってました。
こんなにも才能があるのに、何で?と思うのだけど「才能がない」と本気で思っているから凄い詩が、曲が出来るんだろうなと思いました。


あるミュージシャンの方が「音楽でお金儲けするには誠実さをすてなければいけない」と言っていました。
歯を直すお金もないミュージシャンは貧乏でも誠実なのかしら。
お金がなくて直していないのでは無くて、そんな事はどうでもよいのかもだけど、
そうできる物を持つって辛くて苦しい事もあるだろうけど、カッコいいなと思います。
posted by kyoko at 01:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月07日

Freak Out

昼の平日だからしょうがないのかしら?
でも私を含め5人しかいない映画は久しぶりで、
高校生の時、授業をさぼって見たポーキーズの時は2人だったからそれよりはましかしら。
でももったいないすぎるよ、みんな見ないとと思ったよ、ドキュメンタリー映画「Freak Out」。

富士宮市にあるお寺には3人の脳障害をもつ清僧さんがいます。
修行をちゃんとしているのかは分からないけど喧嘩したり、絵を描いたり、音楽やったりして過ごしてます。
この3人の清僧さんの噛み合ないやり取りもかなり面白いのです。
脳障害の人の会話はお笑いに通じる所があって、それが計算して出来るかどうかという事の違いなのだけど、Mrビーンだって大人がちょっと足りない子供みたいな事をして笑わせているように。
この清僧さんたちは「昭和のいるこいる」のような適当なやり取りが続くのです。
それが面白くて、可愛らしくて、面白くて。

そしてここの2代目住職は元ミュージシャンで、木魚を叩いているこの3人で何かできそうだと思い、バンド「ギャーテーズ」を結成しました。
だけど最初練習をしても、ちっとも覚えられず次の日には忘れてしまう。
それで音楽って楽しくするものじゃん、もういいやと思い即興にする事にしたのです。
「ギャーテーズ」私もCDも持っていてビデオも持っているのだけどかなり宇宙で凄いのです!。

ここまででもかなり面白いのに、1代目住職は韓国人で壮絶な差別を受けてきた方。
同じく差別を受け隔離されている脳障害をもつ人達に同じ何かを感じたのか、この3人の清僧さんを第二本尊としているのです。
韓国人と日本人の価値観、境遇の違い、お互い好きな所も沢山あるのにどうしても譲れない所もあり、さてさてギャーテーズの行方はどうなる!となるのだけど、
これはお寺の中の話だけではなく世界全体の話でもあると思うのです。
戦争、差別、どうしても曲げれない思いなど、
でもそんな事はどうでも良いといった感じの清僧さん。。。

他のバンドメンバーも音楽好きなら「ウヒョッ!」と思う程凄い人ばかりなんです。
色んなテーマが含まれているこの映画、宣伝をもっとしたら人が入りそうなのに、もったいないな〜。
明日までやっているので、変わった音楽、ドキュメンタリー映画が好きな人は是非!
「Freak Out」のサイト

ギャーテーズのメンバーの高橋ヨーカイさんの
「俺たちが清僧さんのファンなんだよ」という言葉がとっても良かった。
この言葉は凄く凄く素晴らしい言葉だよ。
私は実際に障害を持った人に接した事ないから分からないけど
何かが足りないって、それは誰もが持つ事が出来ない何かを持っているという事なんだ。
障害を持っていなくても五体満足な人でも「自分は人より劣る、何かが足りない」と思う事あると思う。私も幼少の頃から自分には何かが足りないと思って生きて来た。
でもそういうのって開き直った方がいいのだと思う。
その足りない物が脳障害だったり、私みたいに人には分からないけど足りないと思う事だったり、それってそんなに代わりない事だと思うよ。




posted by kyoko at 14:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月03日

考えた事

あの地震以来時間が物凄く早く過ぎていっている気がします。
今の私は地震以前と変わらず生活が出来ているけど私の心の中は地震以前とは何かがちょっとだけ変わったような気がします。
色んな事を考えました。自分、家族、友達、生き方、未来、そして原発の事。
地震がなかった時の日本が懐かしくもあります。
先日個展の搬入に行くため久しぶりに電車にのりました。
ちょうど朝の通勤の時刻だったのですが山手線はホームの階段の上まで人が一杯で、電車と駅の中は薄暗く「やっぱり普通ではないんだな」と感じました。
テレビのニュースで「想定外の地震」と東電の方が言っていました。
たかが人間ごときが地球の全てを知ったかのように、何をもって「想定外」と言うのか不思議でなりませんでした。
そんな事を言うのは地球を、宇宙を舐めていると思いました。
地球にとって想定外ってそんな事ではないと思います。
宇宙人が地球を攻めて来るのも想定内にしておかなくてはならないと思います。
地球人は宇宙を背負って生きています。
沢山の惑星が生まれて無くなっていくように地球もいつかは無くなります。
だから運命共同体なのに、同じ人間を地球を危険にさらす原発って何なのだろうと考えました。
無知な私は非核三原則を唱える日本には原発は無いと思っていました。
でもチェルノブイリの事故があり、RCが原発反対の歌を歌い、日本にも原発があるという事を知り何で世界唯一の被爆国の日本に原発があるのか不思議でなりませんでした。
そして東芝EMIから発売予定だったRCのカバーズというアルバムは発売禁止になり、違う所からアルバムが出ました。
これは当時とても凄いニュースになり、私はこのとき初めて原発について考えるようになりました。
20年以上前、言論の自由な国だと思っていた日本は、お金と権力で自由は奪われる国だと言う事を初めて目の当たりにしたのです。
当時ネットも無かった時代、音楽が無ければ知らなかった事実です。
お金と権力に買われているテレビも新聞も何も信じられません。
だから皆が気付かせられるような音楽はとても大切で意味があるんだと思いました。
そういった音楽が沢山生まれて、皆が聞いて色んな事が正しい方に動いて欲しいです。

posted by kyoko at 21:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月17日

ありがとうございます。

幸いな事に義父母は釣り仲間の知り合いのつてでマンションを借りる事ができたようだ。
つり仲間の人は命の恩人だ。
布団一式と電気ストーブを用意してくれたそうだ。
人の善意がこれほど有り難いと思った事はない。
本当に頭があがらない。感謝してもしきれない。
どうやったら恩返しできるかと考えた。
恩返しはこの人に感謝しながら、これから先もし困っている人がいたら無償で助けるという事だと思った。
そうしないと本当に罰があたる。

水道もでないし、トイレットペーパーも無いと言っていたが義父母はまだ良い方だ。
今でもとても過酷な状態で耐えている人が沢山いるのだから。
出来る事なら暖かい食べ物を持って行きたい。
今私が働かなくてもよいほどお金があったら何らかのボランティアに参加していたかもしれない。
それが出来ないから、節電をして、食べ物も我慢する。それくらいしか出来ないから。


近所のスーパーは開店前行列が出来ている。
午前中でパンや水、牛乳や納豆、豆腐や昆布、麺類などは全て売り切れ。
トイレットペーパーや乾電池なんて此処最近見た事ない。
家庭を守るために血眼になって行列に並び、放射能に効くと言う昆布をかご一杯に入れている姿を子供に見せて「お母さんはあなた達の為に頑張っているのよ」と言いたいのか。
それは違うと思う。
今こそ子供達に「困っている人に分け与える為に我慢するのよ」と教えるべきなのではないかしら。

とは言っても何もしていない私もこの人たちとなんにも変わらない。
でも被災地の人に送る物資がなくなってしまうからせめて買い占めだけはしないようにしてほしい。
水だって水道水貯めておけばいいじゃないか。
トイレットペーパーが無くなったら新聞紙をもんでふけばいいじゃないか。

どうか一刻も早く皆が暖かくて安心できる所で暮らせますように。




posted by kyoko at 10:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月16日

元気に個展をします。

突然ですが4月にマルプギャラリーさんで1ヶ月個展をします。
4月といってもまだまだ混乱している時期だろうし、こんな事している場合なのだろうかという考えが一瞬よぎりましたが、せっかくマルプさんでやらせて頂く事なので東京が何とかならない限りやります。
というのも義父母が福島原発地域に住んでいるので避難している状態で今は車の中で寝泊まりしていて、
血は繋がっていないとはいえとても世話になっている人だし柄にも無く心配で夜も眠れない日々を過ごしてました。
面倒くさい確定申告もやっと終わりさて絵に取り組もうと思った矢先の地震。
義父母とは連絡とれず、テレビは悲惨な画面ばかりで気も滅入り絵なんて描いている場合ではないと思っていました。
地震の翌日の夜やっと義父母と連絡がつき無事だと分かりほっとしたが、それでも車中での寝泊まりは大変だろうなと思うと自分がこんな暖かい所でのほほんと絵なんて描いていいのかという気持ちは変わらず、でも4月までの時間か確実に近づくばかりで。
でもね、思ったのです。毎日テレビ見てため息ばかりついても何も変わらないし未来につながるのだったら絵を描かなくてはと。
それで今はやる気満々で描いています。暖房は付けずダウンを着て描いているのでダウンは絵具だらけになってしまっていますが。
それでも夜中は何だか悲しくなり涙がボロボロと流れて、でも私は今とても幸せな状況にいて泣くなんて間違っていると思い直し、鼻水はじーちゃん直伝の手鼻でペッと飛ばし、地震の野郎に毎夜飛ばしています。
「暗い気持ちになって暗闇だらけになってしまった時は物凄く下らない事を考えて下さい。」というラジオからの伊集院さんの声を聴いてそうだよなと思い、私は今までもそうでしたが、この先も一生下ネタとクダラナイ話しかしないと決めました。たとえ地球最後だと分かっていてもどんなに人が引こうと下ネタとクダラナイ話しかしません。
どうしょうもなくバカバカしくて意味が無いクダラナイ話が出来るってどんなに幸せで素敵な事かと今になって心底そう思います。
いままでもバカバカしい事しか言わない私でしたがこんな生き方はけして間違っていないと確信しました。
なので今後ともどうぞ宜しくお願いします。
今朝も目覚めたらイヤらしい朝一妄想をしました。私はとても幸せで恵まれています。ありがとうございます。

posted by kyoko at 15:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

展示のお知らせ

こんばんは、展示のお知らせです。
2月22日(火)〜 2月27日(日)
ギャラリーダズルさんでグループ展をやります。
「Magic Seeds Vol.2 -魔法の種 -」

ご一緒するメンバーは殆どが知っているので何だかとても嬉しくて、
それにみなさん素敵な絵なので私も他の方の新作をいち早く見れるのがとても楽しみです。
展示をして誰かに見て頂く事、色んな人と出会える事もとても嬉しくて、生きていて良かったなと思います。
誘って頂いて本当に心から感謝です。

展示もあるので、今とても焦っていて、まるで「蝸牛が急いでる」状態です。
自分では急いでいる割には周りから見たらとてもノロノロだと思いますが、ベタベタぬるぬる液を垂らしながら私時間の中では急いでます。
こんなノンビリしている人生は時折、自分自身あきれかえる程で、何をするのにも本当に遅く、私には私の特別な時間があって、特別の時間の中、特別の空間の中で周りと関係なく生きているみたいだなと最近思うんです。
世の中、私みたいな人間ばかりだったら人類の進歩は永遠に来ないような気がしてちょっと恐ろしくもなりました。


それと今日、隣の空家に捨てられてたのを私が助けた黒猫ちゃんを、住んでいるマンションの自転車置き場で発見!。
サササッと逃げてしまいましたが私が声を描けると振り向き、暫くこっちを気にして見ていたのですが、やはりササッと黒猫ちゃんが住む部屋のベランダに入ってしまいました。
まるで生き別れた我が子と対面したようで、私の中の母性がキューンと泣きました。


他にライブや映画を見て感動した事も書こうと思ったのですが、思いのほか時間がないので又あとで書きたいと思います。
posted by kyoko at 23:33| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月13日

またまた年始に聴いてます。

先生ごめんなさい。
年が明けてから、耳が空いている時はずっと太宰治先生のポッドキャストを聴いてました。
そして思ったのです。「うざっ!」と。
高校生の頃は心酔してました。
自分の心の偽善を見逃す事無く、醜い心も一字一字漏らさず小説にして、カッコいいと思ってました。その気持ちは今でも変わりません。
でも見え隠れするんです。自己批判している自虐的な自分に酔っているという事。
それはもう永遠の中2病です。永遠の思春期です。
その癖自分の事をモテるなんて言い、自分の事を好きなのではないかとすぐに自惚れ、浮気もするし、もう本当に笑ってしまう程バカみたいにのたうち回っている様を見てケタケタ笑ってしまいました。「ウザイ、これでは嫌われる」と。

でも強烈な嫌悪は好きに繋がります。
私は先生の事が心配です。心底心配です。

徹底的な自己批判をして自分を保つ人、徹底的な他人批判をして保つ人。
他人批判は自分に自信があり、勝っていなければ出来ない事です。
だからこちら側の人の方が他者から見てカッコいいのだと思います。
どちらも自分が好きだからする行動だけど、どちらかと言うと私も自己批判側の人間なので、読んでいて「嫌い!」と思ってしまうのです。
もしかしらた私も「ウザイ」人なのかも知れないなと思ったりします。

そんな先生の本の中でも明るい「畜犬談」という短編が私はとても好きです。
犬嫌いな先生がくどくど犬が嫌いな理由を説明して嫌いな犬に真正面から向き合っている先生がバカみたいと思いながらも、笑いを堪えながら読んでしまいました。
最後の優しい言動は本当にほろっとなってしまいました。
本当に強烈な嫌悪は好きに繋がるのですね。

posted by kyoko at 22:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

年末に見たものを忘れないように垂れ流し。

「人生万歳」
ウッディアレン監督の映画は見た事なかった。
私の思い込みで「お洒落でウィットに富んだ、理屈っぽい小難しい話なんでしょ」と勝手に思っていた。
もしかしたら好きかもしれないけど、お洒落でお金持ちな老夫婦がうんちくたれながら見る映画だと思っていた。
だからなんの期待もしないで見たら、あらまびっくり!とても面白かった。
確かにウィットに富んだ、理屈っぽい主人公が皮肉ばかり言っていたが、それがとても軽快で的をえていて笑える。
自殺シーンが2回も出てくるのにからっと笑える。
私が大人になったからだろうか?もっとウッディさんの作品を見たくなった。
「人生万歳」という邦題も古くさくてダサイのもわざとなんだろうな。
「人生なんでもあり、一度きりなんだから好き勝手やろうよ」と思えた。
それに「どんでん返し」だってあるから諦めずに行こうとも思った。
とても清々しい気分にもなれた。


「キック・アス」
なんでもそうだけど自分の守備範囲だけでは視野が狭くなるから、人から勧められた事とかを試してみるのもとても好き。
疎い事は特にそうで、南さんに試写を招待してもらった「キックアス」はめちゃくちゃ面白かった。なんの前知識もなく見たのだけど、最初から面白かった。
一時アメコミにハマった事があったのだけど、今までみたアメコミとは全く違って何だか不思議な映画でもあった。
正義のヒーロー物に憧れるダメヒーロ物なのだけど、グロい場面が沢山あり、人を殺す事で笑わせる場面も沢山出てくるのだけど。
私はホラーやスプラッターにハマった時期もあり、残虐な殺し方で笑う事は出来るのだけど(そういうのを求めて見た場合)、今回のキックアスはそういうのを求めて見てなかったので、残虐な殺し方では笑う事は出来なかったが。それでもとても面白かった。
ロリコン殺し屋的なのも出て来て素直にかっこ良かった。
プライマルスクリームやら、Dickies(だったと思う多分)などの懐かしい音楽も好きなのでサントラを欲しくなる程だった。

食べず嫌いは良くない。生きているうちに見れるものも限られているのだから。
面白くてもつまらなくても何でも楽しめる事が大切なんだね。

posted by kyoko at 13:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月10日

年末見たのを記録します。

「散歩する惑星」
CDやレコードのジャケ買いは結構好き。私自身が守りの性格なので冒険といったらこういう時だけ。
映画もレンタルするときにジャケレンするのが好き。
映画に詳しい訳でもないし、いわゆる商業主義的な分かりきった内容の大作はあまり好きではないからジャケレンから入る事が多い。このDVDもピンときた感覚で借りてみた。
いちかばちか。ばちならばちでも開けてビックリ玉手箱。
そして見てみて、裏切られた。いい意味で裏切られた。結果は大成功だった。
出てくる人は冴えないお爺さん、おばあさんばかりで、限りなく退廃的で、社会的で詩的でシュールで、皮肉たっぷりで、ブラックで。
30年務めていた会社をリストラされた男、精神を病んだ自分の息子に「詩だって書いていたのに」と嘆く男、キリストを売り物にするが失敗する男、マジックで本当に人を切ってしまうマジシャン。いつまでも続く長い渋滞、「街中の人が皆同じ場所を目指している」と嘆く男。
とにかく老人ばかりが出てくる。とにかく物悲しい、だけど爆笑ではないがクスリと微かに笑える。これが北欧のブラックユーモアなのかしら?悲劇でもあり喜劇でもある。
画面の隅から隅まで見入ってしまう程、構図、映像は徹底して素晴らしい。やばい、凄く好きな映画だ。一発で虜になった。最後の終わり方は圧巻だった。好き嫌いははっきりする映画だけど、当たり前だけどツボの人はどつぼだと思う。
これを期に北欧映画を沢山見に行こうと思った。



ジム・ジャームッシュ監督の事

ジム・ジャームッシュ監督の作品は一緒に過ごした私世代の友達は多分みんな見ているし話が弾む。久しぶりにあった友達とも。

「「コーヒー&シガレッツ」にはイギーポップとトムウェイツが出ているんだって。借りてみよう。あっ!ストレンジャー・ザン・パラダイスもあるよ。」
「俺は「ダウン・バイ・ロー」が一番好きなんだよ。」
「でもここのレンタル屋さんには無いよ!此処は品揃えが悪いんだよ。」
「しょうがないよ、此処はしけた町なんだから」

そう、しょうがないから今日は「コーヒー&シガレッツ」と「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を借りる事にした。

「ストレンジャー・ザン・パラダイスにはジョンルーリーが出ているんだよね。かっこよかった!」
「うん、この監督はミュージシャンを良く使うよね。ダウン・バイ・ローにはトムウェイツも出てたし。」
「そうそう!ジョー・ストラマーがミステリートレインに出ていたよ。永瀬正敏が好きでこの映画を見たんだ。そしたらジョー・ストラマーも出てたから儲かった気分になった!」
「ジム・ジャームッシュさんとは気があうような気がする。俺たち世代と趣味があうよ。友達になれるね」
「うん、なれる。ちょうなれる!」

そんな事思っているバカな日本人は何人いるのか分からないけど、甘酒を飲みながら「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を見た。
モノクロの画面が何処までも退廃的で、何がおきると言うわけでは無いけど、淡々と進む画面を飽きる事なくジッと見入る事が出来るのは凄い。構図がカッコいい。お母さんの存在がアクセントになっている。間もよいのだろうなと思った。シーンが変わる時、数秒画面が真っ黒になる。あれもきっと斬新だったのだろう。あれが余韻にもなり、次のシーンも楽しみになる。何か起こりそうでなんだかドキドキする。平坦だからこそドキドキする。
若い頃、なんだかヒリヒリしながら見た。この映画に出てくる若者と同じで、お金もやりたい事もない。東京に憧れて田舎から出て来て、一生懸命東京の人になりたがっていたような気がする。
此処ではない何処かに行きたかった。そして東京に出て来た。だから自分の事のようであるから、ヒリヒリした。
そして今も、それほどお金はないが、でも此処ではない何処かに行きたいと言う衝動はあまりなかった。すっかり東京の人になった気でいる。
昔見たヒリヒリ感を水の中で感じるような感覚だけはあった。

この映画は公開当時は見た事なかった。
上京して出来た友達のお姉さんの部屋にカッコいいポスターが貼ってあってそれが「ストレンジャーザンパラダイス」だと知ってビデオで見た。
私はどちらかというとこんな淡々とした、何でも無い会話、何でもない生活、退廃的が漂い、説明的ではないけど心に突き刺さるそんな映画が何よりも好きだ。

「ねぇ、知っている?これって喜劇なんだよ。喜劇って悲劇にもなるよね。
だからさ、ジムさんのこの感覚は好きなんだ!やっぱりジムさんとは友達になれるね。」
「うん、イカした最高な友達になれるよ!」


「コーヒー&シガレッツ」は最近の作品だけど、今でもこんな原点的な作品をとるなんてますますジムさんが好きになった。出てくる人も内容も。イギーポップが何だか真面目に見えたのも面白かった。


posted by kyoko at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月09日

パソコンの中から出て来た文章

この前、鼻の奥の脳に近い部分がカチカチいっていた。歩く度にカチカチいっていて何かの部品があたっているみたいだった。

今日はカチカチいっていない。あんまり歩いていないからかしら?それともお鼻の穴からポロッととれてしまったからかしら?

思うに多分あの時のカチカチは警告なんだよ。これからおきるであろう事の。それを感じ取る力がついたと言う事だよ。ただそれが何だかはまだ分からないわけど。変な虫とかが入った訳ではなくて、ロボットでもない。精神の警告なんだよ。

あの日、確かに私は落ち込んでいて、夜も眠れずにいたんだ。それは自分の現実を直視して、弱いが故の落ち込みで。だけど今、時間液に溶け込んで、あの時のあの気持ちは薄まっている。此れでいいのだろうか?
とことん落ち込むべきなんだ。もういちど時間液を濃縮させる事にするよ。

私は鍋の中にに時間液を注ぎ込みガスコンロで温める。やがて沸騰して蒸気が湧き出て煮詰まって行く。あの時の私の心のようだ。ポコポコと穴があいた頼りない心のようだ。



posted by kyoko at 01:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月07日

お正月に思った事とシリトリを更新しました。

年末に行ったライブ(ヒカシューとキノコホテル)の事とか、見た映画の事とか書きたい事が沢山あるのだけど、本当に速度をあげないと追いつかないのです。
お正月にふと思った事があって、私今まで生きて来て友達にとても失礼な事を沢山言って来たなと。若い頃は特にそうで、そして今も失礼な事沢山言っているよ。
なんかそれを思うと急に恥ずかしくなってしまって。
私は常に色んな事を我慢しながら生きている。
「こんな事を言ったらバカだと思われる」と思いながら、我慢しながら生きているのだけど。
それでも言ってしまう。バカな事と失礼な事。そしてみんな怒りもせず許してくれている。
本当に有り難い事です。今年はなるべく失礼の無いように生きて行きたいです。
そんな事を考えていました。


そしてこれは出さなかった年賀状の一案です。
USAGIKUN.jpg


そしてこれはシリトリの絵です。今年最初に描きました。
tugaru.jpg

今年も頑張ります。
posted by kyoko at 08:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月02日

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
今年もあたりまえのように、とても律儀にお正月君は裏切る事なくやって来た。
穏やかな天気の中、西武線に乗って新井薬師にある梅照院に行った。
ここで引いたおみくじは凶で、願い事叶わず、商売も損ばかりで、何をしてもねたまれ、無くし物は見つからず、待ち人も一向に来ないらしい。
確かに私はMだか、こんなにことごとくダメと言われている文章を読んでいると気分が悪くなる。
神様からのS行為は私にとっては快楽ではないので全部読まず枝に結びつけそそくさと帰る事にした。
そしたら胃が痛くなり「もしかしてこれが凶の奴の仕業なのか。だったらこれくらいの痛みは我慢するわ。」と思い胃薬を買った。

まったりとした空気、うかれている子供達、穏やかな天気。いつもの賑わいと違った電車の中。何だか皆心に余裕があるような感じだ。平和だなとそう思うと同時に、この駅のホームにミサイルが飛んで来たらなどと妄想しながらうとうと電車の中で寝てしまった。
はっと目が覚めるとオレンジ色の団地が目の中に吸い込まれるように入って来た。
雲の裏に透けて見える太陽のオレンジがジワジワと滲み出ていて団地たちをオレンジ色に染めていた。
つんつるてんのイチョウ並木、何だか何処かで見た事ある風景だなと思った。遠い昔子供の頃見た事あるような風景。何だか寂しいなと思った。お正月では無いみたいな不気味なくらい静かな町だった。止まった時間の町みたいだった。



何をこんなつまらない事を書いているのだろうと自分で気持ち悪くなる事もあります。
こんな書いたり書かなかったり、削除したり、文章だけ書いて公開しなかったり、そんな事ばかりしているブログをあきもせず読んで頂き有り難うございます。
今年はどんな事が書けるのかしら?と私も楽しみなのですが、もう何も書けないのかしらと思う事もあります。文章も絵も。
でももう何にも浮かばないと思いながらも絞り出すようにやってこれたので今年もぎりぎり精一杯やって行こうと思います。
拙い文章、拙い絵を、拙いなりに自由に楽しく一文字でも多く、一枚でも多く、創りだして行きたいと思います。
何かを絞り出すって、本来の自分に近づく事なんだなと最近気付きました。

本年もなにとぞどうぞよろしくお願いいたします。
posted by kyoko at 20:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月28日

散々な散文

この場所から離れたかったから何にも用事がないのに近くのコンビニに行った。
途中、腰が円状のお爺さんがゆっくりとゆっくりとレジ袋を持ちながら歩く。
私は簡単にすいすいと追い越す。
多分私はこのお爺さんよりもこの先長く生きるであろうと思いながら追い越す。
お爺さんはこの先の人生を毎日この速度で生きるので、死ぬまで出来る事といえば物凄く少ないだろう。でもお爺さんの時間はユックリだ。彼の感じる一日とは速いのだろうか?遅いのだろうか?と考える。
私はお爺さんを容易く追い越せるのに、物凄く速く歩けるのに、私の速度はユックリだ。
時間が矢のように突き刺さるばかりで、遠い空の彼方、矢が飛んで行くのを、点になって行くのを見つめているばかりだ。
もしかしたらお爺さんの方がとんでもなく充実した日々を過ごしているかもしれない。
もしかしたらお爺さんが又何か一つ成し遂げているかもしれない。
私はコンビニで低脂肪牛乳とちぎりパンを買った。
家に帰りカフェオレを作りパンをモグモグと食べた。
時間は何を中心にして回っているのかしら?
私とお爺さんの時間は同じようで全く違う。
2日前から描いている絵がなかなか出来上がらず、私はこのままお婆さんの時間になってしまったのではととんでもない焦りを感じた。

私には未だ時間がある事が幸せだ。
私には愉しみが沢山ある事が幸せだ。
私には好きな曲がある事が幸せだ。
私には好きなマンガがある事が幸せだ。
私には太陽があたるから幸せだ。

あることが幸せなんだ。
無い事を不幸だと思う概念を海に放り投げたら
私は物凄く幸せになった。
無い事では無くて、ある事を捻出しよう。
入念に、丹念に、捻出したら
よくお腹が痛くなる事も、幸せのしわ寄せだと思えば、
なんて事無い事だ。

posted by kyoko at 16:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする