2012年06月25日

最近の事

最近といってももう1ヶ月前の事ですが、
「ル・アーブルの靴磨き」を見ました。
大好きなアキ・カウリスマキ監督はいつも優しさと愛で包んでくれる。
だから私もその優しさに心をひたひたにつけ込みたくて映画館に心弾ませながら行きました。
行ったのは映画館だけど、私の心は既にフランスのル・アーブルに住んでいて、靴磨きの主人公マルセルに靴を磨いてもらい、暇さえあればマルセルがいつも行くお店に私もふらりと出向き、一緒にワインを呑み、そしてマルセルの手助けをするんだ。
映画の物語が進むと同時に私の妄想も進み、仮想を通り越して映画館の中にル・アーブルの海の匂いが漂ってくるくらいその世界にとっぷりとつかりました。
その世界に入りながら、時が止まって欲しい、映画が終わって欲しくないよと願っても必ず終わりがきてスクリーンが暗くなり、館内が明るくなった時はなんだかとても寂しくて、嫌だよ、ここから動きたくないよってそんな風に久しぶりに思った映画でした。
今でもたまにあの時感じた海の匂いを思い出し、何度も何度も映画のシーンを思い出し、少ない台詞は本当の言葉となって胸に留まり、町も人も小物も色も全てが愛しくて、宝物がつまったような映画。
映画は終わったけど私の中で恋は始まりました。
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2012年06月15日

アイスカップの鳥

夏休みの工作の宿題で私はアイスカップに紙で作った鳥の頭とシッポをつけた鳥のお船を作りました。
これをお風呂に浮かべて遊ぶんだとワクワクしていたのを今でも覚えています。
同じクラスの深雪ちゃんはヤクルトの入れ物で人形を作りました。
小学一年の夏休みも終わり2学期初日の出来事です。
担任の先生が「工作は後ろのロッカーに置いて下さい。」と言ったので私はロッカーの上に置きました。
そしたら後から来た深雪ちゃんが私の鳥のカップにヤクルトの人形を入れました。
本当はちょっと嫌だったのだけど、深雪ちゃんが笑ったから私も笑いました。
そしてお昼休みの前に先生が「工作を展示教室に飾るのでみんな持って行って下さい」と言ったので私はロッカーに走りアイスカップの鳥を取った時に中に入っていた深雪ちゃんの人形を落として割ってしまいました。
後ろにいた深雪ちゃんはとても怖い顔をして「酷い!どうしてくれるの!」と怒りました。
私は「ごめんね」とあやまり、そして直ぐに自分のアイスカップの鳥を手でぐしゃぐしゃに潰してゴミ箱に捨てました。
その私の行動を見た深雪ちゃんはニコッと笑い許してくれました。
私と深雪ちゃんは「どうして夏休みの宿題をしなかったのか」と先生に怒られたけど、でも深雪ちゃんはニコニコとしていたので私はホッとしました。

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多分私は人形を壊しておきながら自分だけ宿題をちゃんとやってきたというのは悪いと思い、こうする事しか思い浮かばなかったこの頃できる精一杯の誠意と謝罪だったのだと思う。
この一件を今でもたまに思い出し、遠い昔の自分の事なのに何故だかとても切なくなります。






posted by kyoko at 18:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月21日

ホームページに作品を追加しました。

セツに通い初めの頃、周りには素敵な絵を描く人が沢山いて、いつも「いいな〜、私もいつの日かあんな絵が描けるようになれるのかな?」と嘆いていました。
毎日絵の事ばかり考え、素敵だと思う人の絵に似た絵を自分が描けるようになる夢を見たりもしました。
でも現実は「素敵」と思った絵と似た絵を描ける事はなく、当たり前の事だけど「私は私のもっている物しかもっていないんだ」と気付きました。
人格や見てきた物、今まで生きてきた環境、好きな音楽、好きな本、好きな世界観など全て違うから、どんなに真似しても出てしまう揺るぎない自分。
真似をしようと思うのは最初のとっかかりで、描いているうちにどんどん別物になってしまう。
私はなんて不器用なのかしら!と思いながらもその違いを笑いながら楽しんでいたりもしました。
好きな物に近づこうと思えば思う程どんどん遠ざかり、そのかわり自分に近づいて行く。
きっと器用な人なら「素敵」と感じた絵を描く事ができるのだろうと思うのだけど、でもきっとそれは通過点で遠回りしながら自分に近づいて行くのだと感じました。


そう思うとセツにいた頃の絵は今の私には描けない絵でそれはそれでとても愛しくもあります。
そして今描いた絵も未来の私には描けない絵だったらいいなと思います。


ホームページに作品落書きを追加しました。
お暇な時にでも覗いて頂けたら嬉しいです。
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posted by kyoko at 16:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月01日

象のシワでは萌えません

吉祥寺バウスシアターで「淫力魔人イギー・ポップ&ザ・ストゥージズ」を見ました。
全編ライブのこの映画。イギーポップ64歳。身体はかなり鍛えているし、年齢なんて全く感じさせられずとにかく圧倒されたのだけど、イギーのシワとキズだらけの身体をみていたら、私の脳の記憶のスイッチが入り、いつか会った女の人が私の頭の中に何度も何度も映し出されてきました。
記憶の奥の方から滲み出た女の人。
中央線であったあの女の人。
電車の座席に座っている30代位の女の人の前に立った私は女の人の胸元に釘付けになりました。
実際には目が釘付けになるのは一瞬だけで、私の心が胸元に置き去りになりました。
電車から降りてからもずっと感動に近い感覚を抱え忘れられずにいました。
女の人は胸元が開いた服を着ていました。
その胸元にはかなり深いキズ跡が。
怪我をしたのか、手術の跡なのか、白い皮膚に縫い跡がくっきりと残っていたその胸元はとても美しくてうっとりと見とれてしまったのです。
女海賊エメラルダスにも顔にキズがあります。
女の人のキズを見たのはエメラルダスと母親の帝王切開の傷跡以来で、エメラルダスのキズも母親のお腹のキズも子供心にカッコいいと思っていました。

もし私にも同じように身体の何処かにキズがあったなら、多分こうやってキズを出す事はなく生きて行くでしょう。
あえて胸元のキズを出すという事、それは自分が生きてきた証を包み隠さずさらけ出す事のような気がします。
あの女性にもキズにコンプレックスを感じる日々もあったかもしれない。
だけどコンプレックスを潔く堂々と出し、そして出し続けていたらそれはファッションとなるという事を知りました。
誰にも真似出来ない心のファション。
私の好きな映画「ひなぎく」で女の子が「私はがに股。でもそれが個性」と歌うシーンがあります。
私はこのシーンが大好きで、この詩も大好きです。


イギーのライブを見ながら分かった事。
私はシワとかキズを見ると萌えるんだ。
イギーのシワとキズだらけの身体も、あの女性の胸元も、お婆さんのシワシワの胸元も本当に美しいと思う。
若い頃のツルツルしている皮膚よりも美しいと思う。
世の中の価値観とかそんなもの覆す、なんだか心がザワザワする美しさです。

posted by kyoko at 02:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月30日

パブロフの春

本当にあの砂壁が嫌でした。
所々にピカピカするのが入っているあの砂壁。
広さの割には家賃が安いからといって住み始めたあのボロアパート。
今のマンションに住む前に6年も住んでいて、地震で倒壊する恐れがあるから取り壊されたボロアパート。
あんな部屋でさえいざ引っ越しとなると、大嫌いだった砂壁ともうお別れと思うとちょっと寂しくもなりました。
最後部屋を出る時は一緒に住んでいた幽霊らしき何者かと砂壁にさよならとお礼を言い出て行きました。
次の引っ越し先はあのボロアパートに比べればとても綺麗な所なのに、何で名残惜しいのだろう。


それはまるで卒業のあの時の感覚にも似ているなとも思いました。
もう、本当にこの学生生活にも飽き飽きしていて、楽しい事なんかあまりなかったし勉強も嫌いだったから本当に早く卒業したかった。
早く自由になりたかった。そして未知の新しい世界に早く行きたかった。
でもなんでだろう、もう飽き飽きしていたあの通学路も校舎も学生生活もいざもう行かなくてすむかと思うと寂しさがジワリジワリと湧いてきて、愛おしくも思えてきます。
突然に今までの日常に終止符をうち、そして寂しさの次に襲ってくるのは新しい環境への不安と期待と得体のしれないドキドキ。
そのドキドキはいつのまにか日常に溶けこみ消え失せてしまうけど、何十年たった今でも春が近づく度に蘇ってきます。
今の私の環境は何一つ変わらないのだけどうっすらと蘇ります。
それは私の細胞に埋め込まれているかのよです。
鶯の鳴き声、梅の匂い、春まじりの風、それらが私の五感の隅々まで刺激して春のスイッチが入ります。
すると得体のしれないドキドキが襲ってくるのです。
それはまるでパブロフの犬のように、後天的に積み重なれた強烈な感覚。
そしてこの宙に浮いた行き場のないドキドキを抱えた心は春を彷徨います。
これを思うと、春に気狂いの人が出現するのも何だか分かるような気がします。
春に間違えて押された気狂いスイッチ。
それは誰もがそうなる可能性がある日本人の性なのかもしれません。


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2012年03月10日

押しつけ絆

今、義父母は福島の仮設住宅で生活をしています。
同じ仮設に可愛い小さな子供がいたので義父母はお菓子などをあげていたら、
ある日その子供の両親とお祖母さんが義父母の部屋に上がり込んで来て「お金を貸してほしい」と言ってきて、なかなか帰らないのでお金はきっと返ってこないだろうと思ったけど貸したそうです。
それから義父母はその家族を避けるようになり、その家族は義父母が外から帰ってくる度に駐車場まで子供をつれて出てくるようになったそうです。
確かに色んな所から集まってきた集合住宅、殆どが良い人で皆が皆そうではないけどこんな事も本当にあるんだとびっくりしました。


「テレビの中では絆、絆というけど現実は違う。ここ仮設にいても周りと付き合いは殆どない」
「子供と奥さんは遠くに住んでいて金銭的にもきついし戻って来て欲しいけど子供の事を思うとそうは言えない。離婚した人もいるし絆なんてテレビの中で盛り上がっているだけだ」
「息子さんを亡くした知人にはもう前のように子供の話ができなくなり、今まで仲良かったけど疎遠になってしまった。同じ被災地でも同じ境遇とは限らない。」
等と先日テレビのニュースで福島の仮設住宅にすんでいる人の声が取り上げられていました。

これを聞いて私は何も分かっていなかったと思い知りました。
この偽善臭い「絆」という言葉をそう容易く使うのは間違いなのかしらとも思いました。
私が思うテレビの中で言う「絆」とは「早く復興して欲しい気持ち。」「ボランティアでも寄付でも出来る事は何かしようという行動」を「絆」と言うのだと思ったけど捉え方が違いました。
これは私達側が思う絆でその考えは生温かったのです。


でも正直「絆」って良く分かりませんので意味を辞書で調べてみたら
「人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。」
とあります。
確かに同じ境遇だと親近感がわき強いつながりを感じます。
でも私が相手につながりを感じていても相手がそうは思っていなかったらそれは絆でもないし、
人の心は変わるから、いくら何十年も強い絆で結ばれていると思っていてもほんのちょっとの誤解で簡単に絆は壊れます。
信用出来て初めて絆は生まれるもの。
よく誰かに「私はあなたを信用しているよ」と言うけど、それを口に出したとたん信用した人のエゴになると私は思っています。
「信用している」と言った瞬間、言われた方はその言葉に縛られて生きて行かなければならないから。
本当に信用しているとは、信用している相手に裏切られてもそれでも許す事ができて初めて「信用している」と言え、そこから絆が生まれるのではないかしら。



昔ある男の人から「君とは友達でいたい」と言われた事があります。
若かった私は
「友達って友達になりましょうと言ってなるのではなくて、気がついたら友達になっているものでしょう。
あなたが「友達でいよう」と言った瞬間それはもう友達にもなれないという事だよ。」
と答えた事があります。
「友達でいよう」というのは本当にずるい言葉です。
テレビで言う「絆」もこの「友達でいよう」という言葉と同じ匂いがします。
この「絆」という言葉で悲しむ人もいるという事。
友達にはなれっこないと分かっているのに「友達でいましょう」と言う。
お互い求めている物が違えば絆なんてうまれないし友達にもなれません。


絆とは相手との物理的な距離ではない。
その認識が違うと「絆」という言葉がただの偽善になってしまうのです。
絆も優しさもなんでも押し付けたらそれに苦しむ人がいると言う事を改めて実感しました。
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2012年03月04日

私はいつも変わりたいと思っている。

上京して初めて出来た友達と、初めて東京のクラブに行った時の事を今でも鮮明に覚えています。私は飲み物を頼むためカウンターの列に並んでいました。前には若い男性2人が並んでいて私はその2人の遣り取りに目が離せませんでした。
何故かと言うと、2人本当に仲良さそうに寄り添い手をつないでいたから。そして人目も気にせずさりげなくするっとキスをしていました。
タバコの煙が渦巻く怪しく薄暗い店内、ドンドンと心臓に響く音楽、それは映画の中に迷い込んだのではないかと思う程素敵な光景で私はドキドキしながらその2人の時間と瞬間を見ていました。
その仕草もしなやかでお洒落。ベレー帽に丸襟のチェックのシャツという出で立ちで、その時初めて「あ〜私、東京に来たんだ」と実感しました。

あれから20数年、先月私は誕生日を迎え、「教師生活25年」というお決まりの台詞のど根性がえるの町田先生の年に徐々に近づいていると思うと軽い目眩と焦燥感に襲われ、心はバタッとつんのめった気分でした。
何をそんなに焦っているのだろうかと考えました。
私は常に変わりたいと思います
その変わりたいという漠然とした思いで上京しました。
果たして上京して私は何か変わったのでしょうか?
あの頃一緒に遊んで、私とさほど変わりない生活していた友達もどんどん変わっています。
環境が変われば考えも少しずつ変わっていくようです。
一番の原因は家庭をもち、子供をもつという事です。

結婚はしたけど子供はいない私は相も変わらず、本当に相も変わらずで、
でも上京したあの日から変わった事は「絵」を描いている事です。
上京して10数年目でやっと念願の絵の学校セツに通いました。
そして絵を描き始めて今年で10年が絶ちます。
その意味では私の環境は大きく変わりました。
いつも変わりたいと思っているその気持ちは変わりませんが、その思いは漠然としたものではなくて、どうにかして絵で変わりたいと思っている私がいます。

外に出てもいつも何かアイディアを求めています。
何かネタとなるドキドキする瞬間を探しています。
それは初めて行ったクラブのあの二人の男性のキスを見た時のドキドキを自分の絵で感じたいと思うからです。

時がただただ無駄に過ぎているのではない、私の漠然とした変わりたいという気持ちは今はどうして変わりたいと思うか、理由がはっきりと胸にあります。
それは私の幸せな変化でもあります。

この先どうなるかは全く分かりません。
あの頃と変わらないのは目の前はいつももやもやの霧で、ただただ今だけをもがいているのは変わりません。
それでもこれから10年後何か変わっているか、10年後の私を見るのが恐ろしくもあり楽しみでもあります。


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2012年02月28日

ホームページに絵を追加しました。

ホームページに絵を数点ですが追加しました。
覗いて頂けたら嬉ししです。
http://www.geocities.jp/kyokohirota69/portfolio.html

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2012年02月05日

鬼の夢

血の色した池の周りでは鬼達が頭を抱え「痛い痛い」とうめき声を発してる場面をたまに思い出します。
その場面は時には私の夢となって登場したり、時には白昼に突然に私の脳裏に映し出されたりします。
それは「こんな夢を見た」で始まる黒澤明監督の映画「夢」の中の一つの物語。
黒澤監督が見た夢を映画化した晩年の作品だったの思います。
この映画は十年以上前にテレビで見たのですが、この場面は物凄い勢いで私の中に入って来て居座り、その記憶はことあるごとに表面に滲み出てきます。
それで気になってもう一度見てみようと先日DVDを借りて見ました。
8話のオムニバスになっているこの映画は第1話からとても異様な世界観でした。
1話の狐の嫁入りの行進を見てしまった少年の話から始まり、
最後の8話ではある村では人が死ぬとお祭りのように楽しみ管楽器を演奏しながら村人が楽しそうに奇妙な踊りを踊りながら行進します。
この第1話の狐の嫁入りの行進と、最後の死者を送り出す行進がつながっているように思います。
特に今だからこそ印象的だったのは第6話の「赤富士」です。
赤く燃える富士山、そこでは何かが爆発しています。6基の原発が爆発しているのです。
子連れの女性が「原発は安全だ。絶対に安全だと言ったじゃないか」と叫ぶ。
逃げる沢山の人々。被爆した人は海に飛び込み皆死んでしまう。
これを当時見た人は何を思っただろう?
チェルノブイリの事故の後の作品です。何をバカの事を言っているんだと日本だけは安全と信じていたのでしょうか?

そして私が何度も思い出す第7話の「鬼哭」
悪行ばかりした人間は鬼になってしまうという物語。
周りには放射能で巨大化したタンポポ。
鬼になった人間は角の生えた頭をかかえ「痛い痛い」とうめいている。
まるで地獄絵のような場面。


物語全般は自然破壊に対する警告と人間の悪行を訴えています。
夢だからとてもシュールでとても異様で全8話全てが面白いです。
中学生の時「羅生門」を見た時も何だかとても衝撃を受けた記憶があります。
それと同じく私にとってはとても衝撃的な作品です。
こういったテーマの作品は沢山ありますが、この世界観はダントツで大好きです。

私は思うのです、
こういった商業的ではない映画は上映された当時はそれほどでも、
数年後になってジワジワとその重要性に気付かされるのではないかしらと。
posted by kyoko at 04:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月19日

嬉しい事宇宙

トントンと階段を降りていつも郵便受を開けます。
郵便受は嬉しい事宇宙。
沢山のビラや請求書の中にうもれて本当にたま〜にやってきます。
素敵な個展のDMや映画試写当選のチケット。
そして今日は雑誌イラストレーションが届きました。
近くの公園のベンチに座って高鳴る気持ちを押さえながら最初からユックリとページをめくります。
今号からリニューアルして表紙デザインも新鮮でとても素敵。
そして読み進めていくとぴたっと手が止まった。
見逃さなかったよ!この画像!
たじまひろえさんの個展のお礼状が載っていました。
たじまさんは多分魔法使いなんだと思う。
絵もそうだけど、たじまさんの個展のお礼状は貰った人全てがニコニコしてしまいます。
感謝の気持ち、楽しい気持ち、幸せがまるまる家に届いてその手紙をパカッと開けると部屋中にわ〜っと飛び出す幸せ!となるんです。
他にも知り合いのイラストレターさんの特集もあって皆活躍していて嬉しくなりました。
1冊の本に知り合いが何人も載っている、それだけでも嬉しいのに、嗚呼!なんて事なの!最後の方には私の絵も載せて頂きました。
イラストレーションのアンケートに「あまり知られていない人を取り上げて欲しい」とか
「地底に埋もれている人も取り上げて欲しい」と書いたおかげでしょうか?
宇野さんの新しい連載のコーナーで絵を描きました。
寺山修司の「上海異人娼館」の演劇のポスターの絵と仮定して描きデザインもしてもらいました。
特殊の印刷によって、その私の描いた絵がとても素敵になりました。
特に空の色がこれから何か不吉な事が起きそうな、なんともいえない異様な感じになったのです!

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この画像とは色が違う感じになりました。

こんな私のような地底人を取り上げて頂き本当に感謝です。
地底にすむモグラは天井人と接触して眩しさから一瞬目眩にやられました。
でも私は太陽の光を毛穴から沢山吸収して、又今年一年きっと絵を描いていけるでしょう。
こうやって嬉しい事があるたび私の絵を描く寿命が伸びます。

それで、私の絵も誌面で2点売っています。
私にお金持ちの愛人がいたら買ってもらうところなのですが、
生憎そんな人はいないのでご興味がある方は是非ご高覧下さい。
こちらのサイトでも購入できるみたいです。
http://art-life.ne.jp/scb/shop/shop.cgi?No=516&
http://art-life.ne.jp/scb/shop/shop.cgi?No=517&

それと去年の個展の時の絵も売っています。
これもとても気に入っている絵です。
http://art-life.ne.jp/scb/shop/shop.cgi?No=437&
http://art-life.ne.jp/scb/shop/shop.cgi?No=438&


本当にいろんな人に「ありがとうございます」と言いたいです。
今年も私はとてもついていて幸せで、きっともっともっと幸せになる予感。
今年も頑張っていこうと思います。
posted by kyoko at 23:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月06日

あけましておめでとうございます。

本当に明けて、この土壷から抜け出す事が出来るのかしら?
未来は輝いているの?って聞かれたら私は自身をもって「はいっ」と言えます。
私は人生の中で大した事ってそんなに無いと思っています。
その言葉を父がまだ生きている時に言ったら「そんな事はない」と厳しく悲しい形相で父は答えたけど。
確かにその時は母親が不治の病で入院している頃で父にとっては人生一番の悲しみだろうけど。
それでも私は今でも大した事は無いと思っています。
なんで大した事ないと言えるかと言うと、
天災で家を無くし大けがをしても、私が重い難病で寝たきりになり痛みと苦しみに耐えられなくなっても、大切な人が死んでも、天涯孤独になっても、無一文になり物乞いをしなくてはならなくなっても、日本が独裁国家になり理不尽な思いをしても、刑務所に入れられても、戦争が始まっても、放射能で日本に住めなくなっても、それでも私自身が生きているだけでそれはとても幸せな事なんだって思うからです。
実際にそんな状況になっていないからそう言えるんだ、私は甘いとは思います。
でも多分どんな状況でもその状況が日常になっても、その中で楽しい事見つけられるような気はします。
ただそれだけの確信だけど、
脳内で大好きな曲を再生しているだけでも心はうかれます。
何だか凄くいい加減で適当な考えだけど、いい加減な人は自由で幸せそうに見えるし、脳天気って最高に素敵と思う。

昨年は私にとってもとても良い一年でした。
展示を3回も出来た事。
それは沢山の人と出逢え、沢山の私の絵に私自身が出逢えた事。
なんの価値も無い絵だけど、今度はどんな絵が私の中から生み出されるかってとても未知でもあり、それが私の一番の楽しみなのです。


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今年も色んな人と色んな絵と絡み合いたいなという思いを込めて描いた絵。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。




posted by kyoko at 00:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月22日

寒いけどちゃんとしよう。

先日夫と新宿タワーレコードに行った。
1500円のポイントがもうすぐ期限切れになるので何か欲しいのがあったら買うよと言うので色々物色していたら「働けECD」という本に目がとまる。
ECDさんは私でも知っている。CDとかは聞いた事ないけど90年代初めくらいにこの方の名前がよく目にはいるようになった。ヒップホップの凄い人という事くらいしか知らなかったけど。
今は私がそういう場所に遊びに行かなくなったからかこの方の名前を聞かなくなったけど、先日ラジオで伊集院がこの方のCDをかけていたので、私が知らないだけだったんだと気付く。
昔良く目にしたけど、此処最近見ない人を「消えたね〜」と思う事って良くない事って最近思うようになった。
流行の上辺だけしか見てないからそう思うので、そう思うのは恥ずべき事だ。
と何だか分からない自分への怒りが少し湧いてくる。
私は人への怒りより自分への些細の怒りが湧いてくる事が多い。
その瞬間「死にたい」と思うのだけど、それはダメな自分を殺したいという事で瞬間で終わる。

それはさておき、なによりもこの本の写真がとても良かったので惹かれて手にとるも「読むなよ!」と言わんばかりにビニールに入れられたビニ本状態だったのであきらめその本は棚に戻し、さて何を買おうかなとまた物色を続ける。
いくつか欲しいものがあってそれを夫に言うと「1500円以上の物はポイントが倍の日に買うから1500円くらいのがいい」などと貧乏臭い事を言うので私は何もいらないと言う。
「じゃ〜サン・ラを買うよ」といいJazzのコーナー行ってサン・ラのCDを買う。
「それにしても貧乏臭いね」と笑いながら中央線にのって帰る。


だいたいこんなんで一年は終わる。
駄目な自分に死にたいと思い、貯まったポイントでただで手に入れたCDを聞けば聞く程得すると言わんばかりにずっと聴き、お金はそれほど無いけど幸せよ。
だいたい安心なんて幻想だと思えば怖い物なんてそんなにない。
でも来年は「死にたい」と思う瞬間をへらし、欲しいCDも見たい映画も行きたいライブも我慢せず行けるくらい今より少し裕福になりたいわと思う。
要はちゃんとするということ。目標はただそれだけ。


posted by kyoko at 13:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月13日

柿と鳥と鼠

秋になると実家の庭にある柿の木に沢山柿がなるので、長い竹の棒の先を縦に割ったもので柿もぎをする。
私はまだ小さかったので母親がその竹の棒で採った柿を拾う係り。
木に柿は沢山なってて、でも母親はそれを全部は採らず木の上のほうの柿は何個か残し「はい、もう終わり」と言う。「えっ、何で?まだ柿は残っているのに」と思い、何で柿を少し残しておくのかと母親に聞くと「これから冬になり鳥達の食べ物が無くなるから、鳥が冬を越せるように柿は何個か残しておくのよ。」と教えてくれた。
それは言い伝えみたいに、私の兄も、その嫁も今でも守っている。
こういう事は田舎では、自然と共存とまではいかないけど農家ではきっと当たり前の事なのかもしれない。
こうやって柿を鳥の為に残しておく事の言葉も確かあったのだけど忘れてしまった。

と此処まで書いていて、NHKの「ラジオ深夜便」で読まれるような、なんて事無い生活のちょっとした感動話みたいだなと思ったのだけど。。。

でも母は強しだから残酷の面もある。
冬になると実家の家に鼠が侵入してくる。
それを知った私は「怖いよ怖いよ」と泣いて夜も眠れなかった。
数日後、母親は「鼠は捕まえたからもう大丈夫だよ。」と言った。
私が「鼠、捕まえてどうしたの?何処かに逃がしたの?」
と聞くと「殺したよ」と言う。何でも袋に鼠を入れて叩いて殺したみたいだ。
私は怖かった。鼠、良くみると可愛い顔しているのに何でそんな事できるのだろう!酷いと泣いた。
私は「何で?可哀想だよ、何で殺したの!可哀想だよ!」と泣いたら「あんたが怖い怖い言うからでしょ!」と怒られた。
その時、母親を悪ものみたいに攻めたのは悪いな〜と後で反省はしたものの、鳥への優しい思いやりと相反する、哺乳類を殺す残虐性にちょっとビックリした。
いい話だけではないんだ。自然と共存するには裏と表がある。色んな物事は常に。

この時期スーパーに並ぶ形の良い柿を見る度にその事を思い出す。
posted by kyoko at 15:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月09日

絵を追加しました。

ホームページに絵を追加しました。
お暇な時に覗いて頂けたら嬉しいです。
http://www.geocities.jp/kyokohirota69/portfolio.html


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2011年10月07日

個展は無事終了しました。ありがとうございました。

9月の番狂せでの個展無事終わりました。
足を運んでくれた方、気にかけてくれた方、本当にありがとうございました。
今回は風景とモノクロを中心に展示しました。
風景はセツにいる頃好きで風景ばかり描いていたのだけど、風景よりも人物の方が褒められることが多く、勝手に風景苦手意識を自分の中に植え付けていました。
人を描かないと何だか物足りなくて不安になり、人がいない絵は描く時に心が入り込んで行きませんでした。
このままではダメだわと今回は思い切って人物なしで沢山描こう、「私しか描けない風景って?」と自問自答しながら描いていました。だから迷っている部分も沢山ある展示になったかもしれません。

今回の展示では本当に沢山の人からご意見、ご感想を頂きました。
その言葉一つ一つに色々気付かされ、心に響きました。
私は私が持っている物しか持っていないんだ、そんな当たり前の事を、ほろ酔い気味のフニャ脳で考えていました。
迷ってばかりだけど、結局はここに辿り着くのです、
これからも枠に縛られず自由な絵を描いて行こうと。

今年は2月にグループ展、4月に個展、そして今回の9月の個展と展示を沢山させてもらいました。
特に4月の個展前は震災があり、色んな感情が押し寄せてくる中描いていました。
計画停電や節電で暖房をつけず寒くて凍えていたけれど、それでもこんな状況の中で絵を描ける環境がある事がなによりも幸せでした。
そして9月の個展の前には台風があり、その台風は予想以上に酷くテレビのニュースを横目に必死になって描いてました。
あの3月の震災の時の感情がジワジワと蘇ってくるのを感じながら、あ〜本当にいつどうなるか分からないんだ。この時代に生まれたから出くわしてしまう避けようの無い事。
それは昔、戦争がそうだったように。
だから私は今出来る事をちゃんとやろうと強く思い、出来なかった事があったら全て私の弱さのせいで、言い訳をしないように生きて行こうと描きながら思っていました。


今年こんなに沢山展示をしたのに飽きずに足を運んで頂いた方、いつも見ているよと言ってくれる方がいるから私は今日もこうして絵を描いているんだと思いました。
大げさではなくて皆さんがいるから生きていられるんだと思います。
そして私に展示する場所を提供してくれた番狂せの店主さん、
本当にありがとうございました。


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2011年08月27日

展示のお知らせです。

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2011年9月1日(木)〜9月30日(金)の一ヶ月間
新宿荒木町の飲み屋さん「番狂せ」で個展をします。
9/2(金)には生意気にもオープニングパーティーを開きたいと思います。
ママと二人酒になる可能性が大きいので、どなたさまもどうぞお気軽にお立ち寄り下さい。
気の利いたお喋りはできませんが、口琴をビョンビョン弾いて怪しいお店をよりいっそう怪しくしたいと思います。

オープニングパーティー 9月2日(金)19時から
チャージ2000円(食べ放題+1ドリンク付き)
追加ドリンク500円

今の所、16(金)、22日(木)、30日(金)には私もお店に顔を出したいと思います。


営業時間:月-金18時〜26時頃まで 土日祝日休み
パウロ野中氏によるタロット占い
9/14(水)19時〜 15分1500円
DMには9/7日と記載されてますが14日に変更になりました。

飲食店での展示ですので1オーダーお願い致します。



はたして見に来て下さるなんて、そんな好事家な方いらっしゃるかな〜。
「お店には行かないけどDMが欲しいわ!」という方もいるかしら。
そんな方はこちらにメールを下さい。シッポをふりながらお届けします。



尚、8月一杯は南奈央子さんの展示をしてます。
壁一杯にお仕事で描いたかっこいい墨の絵が貼ってあって、とにかく圧倒されます。
見応えがあるのでお酒をのんで酔っぱらう前にじっくり見る事をお勧めします。

私の絵はお酒を飲んでドロドロになってから見ると、ここにいるのに旅してる気分になるかも?です。
お酒が好きな方も、あまり飲めない方もどうぞお近くに来た際にはお気軽にお立ち寄り下さい。
posted by kyoko at 19:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

趣味は戒め

此処最近、眠りに入ろうと思うと必ず聞こえてくる音。
台所の蛇口からポトン・・・ポトン・・・ポトン・ポトン・ポトン・ポトンポトンポトンポトン
止めなくちゃ、止めなくちゃとなんども思うのだけど私の裸足の足はぺったりと夜の床に吸い付いて動けやしない。
ポトンポトンが物凄い早さになると、同じ速度で私の鼓動も早くなり頭をかきむしり心がザワザワとせわしなくなる。

個展当日、絵を貼る為の両面シールを買うのをわすれ、慌ててお店に買いに行くけど何処にも無く、ゼーゼーいいながら街中探しまわる。
やっとの思いで手に入れ絵を壁に貼るも誰も見に来ず、お店のママには「信じられない」とあきれられる。

とにかく走りまわり、心臓の動かし方も分からなくなり、ドッドッドと急に早くなったと思えばピタッと止まる。
心臓は勝手に動くがコントロール出来ない。


一時期、焦る夢ばかり見ていたのだけど、最近見ないなと思ったら、
夕べは久しぶりに焦りまくっている夢を見た。

切羽詰まらないとやらない。
もう、いつも懲り懲りって思っているのだけど、
火事場のバカ力ではないけど、切羽詰まった時の爆発力というのに充実を感じる。
でもこれは間違っているんだよ。
やったつもりになるけど、もっと前から毎日コツコツとやらなくては。
これは子供の頃から変わっていないよ。
それに展示の絵を描いたからって、それで満足してはいけないよ。
これは下準備でしかないのだから。


私の家は最近噂の立川断層の直ぐ近く。
死はいつだって背後につきまとっているんだよ。

posted by kyoko at 01:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月14日

脳みそ絵具

真っ白な海と砂浜にチョコレートバー
溶けるとろける、アリンコ天国。
今日もアイスノン首に巻き、
永久にあなたの事は愛すノン
なんてトワ・エ・モアで秋をさきどり
三月には塩辛い涙舐なていたけど、
今日は鼻の頭の汗を舐めながら
アイスはとけるが絵具は固まる
だけど私の脳みそ絵具はどろどろで、
沢山描くよ気狂い風景
毎日汗疹と戦いながら
ベビーパウダー身体にまぶし
真っ白になった私はスケキヨよ。
青く塗ればジャン・ポール・ベルモンド
なんてシャレた事を言えばもてるかなと思えば
17の頃から、よってくるのは変態と貧乏人。
最近感じる、前世は変態マリア。
この罰当たりと罵って下さい。



とおふざけは此処までで、
来月は番狂せで個展をします。
只今梅干ししゃぶりながら製作中です。

posted by kyoko at 14:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月14日

お月さんと手紙

福島に住む義父母から手紙が届きました。
「仮設住宅に引っ越しました。元気に暮らしてますので心配しないで下さい。」
と、やけに達筆で、一文字、一文字が何だかとても心にジワジワとしみ込みます。
その前にも電話で何度か話をしていて、「こっちに部屋を借りて住みませんか?」と言ったけど「家賃がかかるから、それに仮設には家電が全部揃っているし、こっちでノンビリ暮らすよ」と言う。
ご老人とは言え私としては高い放射能が気になり、少しでもマシな東京で・・・・と思うのだけど、これも私のエゴだなと気付きました。
だから、覚悟してそこに住もうとする人に「放射能が心配です。大丈夫でしょうか?」と言おうとしたけど、こんな私の心配も私の自己満足なんだと思い、そんな事は言えませんでした。

それに、仮設には元々住んでいた町内の人も沢山いるだろうし、同じ状況の人といた方が話もあうし、情報も直ぐに入るから安心なんだと思う。

震災から4ヶ月、早いのか、遅いのかどちらにしろ沢山の人が精神的に混乱し、ヒステリーになったり、それでも安定した精神状態を取り戻そうと皆なんとかやっているんだと思う。
私の生活や食生活は、いたって普通で、水はスーパーの浄水を飲むか、ブリタの水を飲んでいます。
野菜も魚も特に産地は気にせず食べてます。
子供がいる方は神経質になるところだけど、先の見えない、目に見えない危険に振り回されず至って普通に生きて行くのが一番精神的にも良いと思うから。
被災地の方の方がもっともっと心配だろうし、未だに体育館などで生活している方は沢山いるのだから、今の状況に恵まれている私は騒がず慌てず、普通に暮らしていきたいと思うのです。


今日のもやもやお月さんは今にも部屋に入ってきそうなくらいに近くに感じます。
窓から見えるお月さんと一緒に手紙を読みました。
お月さんを見ていたら何だか泣けてきて、
お月さん、心配してお部屋に入ってこないかしら、朝、目がさめたらお月さんを抱いていたら素敵だなっ。

手紙は心に刻まれます。
実母からの手紙はもう見る事は出来ません。なんだかちょっぴり胸がきゅーとなるので。
そして一度も返事を出していない事が今とても悔やまれます。

posted by kyoko at 00:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月18日

死ぬってアトラクションだよ。

映画が始まるまで時間があったので本屋で立ち読みをしました。
そこで私は何故か内田裕也の本を手にとってパラパラと読み始めました。
この人がどんな人か知ったのは本当ここ数年前で、
毎年テレビで放送しているニューイヤーロックフェスティバルを笑いながら見ている程度で、特にファンでもないけど、でも何だか存在自体が面白いので見てしまうのです。
そして内田裕也の本に書いてあったある言葉が何だか素敵で、ずっと頭の中に残っていました。


この日は『BIUTIFUL ビューティフル』という映画を見ました。
「癌で余命2ヶ月を宣告された男の話」
と聞くと死ぬ前に何か素晴らしい行動でもするのかしら?とか感動的な事が沢山あるのかしらと思いますが、私もそう思って挑みましたがそれがちょっと違って。
この男は非合法な仕事をしたり、イタコみたいな仕事をして日々の生活の糧にし、決して裕福ではないけど2人の子供と3人で暮らしています。
そして死を宣告されても、まともな職につく訳でもなく今までと同じ生活をして、それでも子供、別れた奥さんには優しくなったように感じるけど、これが決して上手く行かず。
よかれと思い行った事がとんでもない悲惨な事件が起き、優しくした人にはとんでもない裏切りにあい何もかもまったくもって上手く行かない。
映画のような感動的だったり奇跡的な事なんて本当の人生にはおきる訳はないんだよ。
それに映画の題名『BIUTIFUL』スペルが間違っているよ。
ねぇ、何が美しいのよって思うけど、私にはこのどうしょうもない現実、もがき苦しむ姿が美しく感じたのよ。
かっこ良くて頭が良くて仕事も出来る、そんな人の感動的な物語なんて綺麗事ばかりで、もういいよと思う。現実、立派な人なんてそんなにいないんだよ。
みんな何かが欠落して、心には辛い事沢山あって、それでも死が来るまで楽しい事沢山見つけて暮らして行く。ただただそんな日常の繰り返し。
でもね、この映画、私は見終わって何だか暖かい気持ちになったんだ。

あと、映像もそうだけど、音楽と音の使い方が本当に素晴らしくて、2時間以上もある映画なのに全くあきもせず、もうスクリーンの四隅まで隈無く念入りに見入ってしまいました。



私が『死』を意識するようになったのは両親が死んでから。
それから時が経ち感じた事は、死をいつも身近に感じて生きていくべきなんだという事。
死を恐れて生きて行くのではなくて、いつも死と一緒に、身近に、戯れるくらいに生きて行く事で、思いっきり生きる事ができると思うようになったのです。
死以外でも、いつか来る怖い事を、恐れて生きるなんてバカらしいんだよ。
だから私にとっては死ぬ事がとても楽しみで、そりゃ死ぬと分かったら恐怖でチビッたり、悪あがきをしてみっともなくなると思うけど、死は何処かの夢の国といわれる、なんたらランドより何百倍楽しいアトラクションなんだ。



内田裕也が言っていた言葉、

「死に対していつだってオレは、『こんにちは』と言う」

この言葉、映画を見た後の私にとてもしっくり、ぴったりときたんだ。
posted by kyoko at 02:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする