2016年06月02日

紫陽花の中に、だんだん見えてきた。

本当にご無沙汰してます。
こんなにも何も書かないから、もう誰も見ていないことだし、思いっきり好きな事が書けます。

あっという間に今年もやってきました。
梅雨の前の一番好きな季節でもあり、ある年を境にいろんな感情が湧きでて渦巻く季節にもなりました。

紫陽花が好きな母は6月1日が誕生日で、だけどもよっぽど年を取りたくなかったのか、13年前の5月31日にもう歳をとらないって決めました。
母がそう決めたのだから、いや、そうせざるえなかったのかもしれないけど、どちらにしろ私は何も言えないし、何もできない。
それは母の人生でもあるから、だけど思うのは、あれから何度も何度も思うのは「母は悔いのない人生を送れたのか」ということ。

それは私自身に常に向けられていて、「いやまって、私こそ後悔だらけの人生だよ。」と
でもきっと死ぬ前は、すべての出来事に自分を納得させるために、たとえ後悔だらけの人生だったとしても
「あゝ、楽しい人生だったよ」と、そう思うに決まっている。

私という人格だから故のすべての行動も、今あるこの現状も丸ごと全部受け入れて、愛おしくなるほど受け入れて、そうやって死んでいくのだろうな。
母もきっとそう思ったと思う。

思えば母の人生は壮絶だった。私から見ればだけど、かなりの楽天家ではないとやっていけないだろうな。
私は、そんな母を見て学んで今の私が形成されている。かなりの部分はそれが占められているのが分かる。
この事は、またいつか忘れないように書きたいと思います。
なんだろう、良くも悪くもだんだん見えてくる、自分の中が。
それは楽しいことでもあるけど、苦しいことでもあります。
でもきっと、それを知ることが母を知る事でもあるような気がします。



posted by kyoko at 22:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする