2013年04月09日

描くという事で思った事

知り合いの、とはいっても私が一方的に知っているセツで知り合った女性の方の絵が好きでした。
何年か前までは精力的に活動をしていたのだけど、ここ数年この方のブログは更新されず、新しい絵も載せていないし展示もしていないので今は絵を描いていないのかしら?
たびたび思い出し少しだけ気にはなっている方。どうしいるかなってそういう人が数人います。


先日、絵描き友達と話していた時、彼女は「絵を描いていて良かった。凄く救われている。どんな時でも絵は直ぐ隣にいてくれる。まだ絵を描いていなかった頃は苦しくてしょうがなかった。音楽も映画も好きで沢山インプットしてきたけど、自分は何も出していない。それが辛くて苦しくてしょうがなかった」と言っていたのがとても心に残っています。
なぜなら私も全く同じだったのでとても気持ちが分かるからです。

20代の頃私は絵を描いていませんでした。
音楽、映画、小説、マンガ、そしてもちろん絵を見るのも好きでした。
同じような趣味の友達と過ごし、人が創った物を見ては一緒に感動していました。
その友達はそれだけで人生満足で、それが全てだと言っていました。
私は違うと、何でか分からないけど私はなんか違うとずっと思っていました。
だけど、私もその友達と同じように、これで満足だと思い込ませていた。
何かが違うと頭の片隅にはあったけど、「一体私に何が出来るのだろうか?」と思うとそう思い込ませなければ辛くてしょうがなかったのです。
ずーっとそうやって人の創った物を待つ受け身な人生でいいんだって。


あの頃は本当に霧の中を歩んでいるようでした。いつも目の前はモヤモヤと視界も聴覚も曇っていて、生きているのか死んでいるのか分からないほど、あの頃の記憶もあまり無いのです。
いつも「死にたい」と思っていました。
狭いアパートに夜の闇がやってくると、孤独と貧困の輪郭が目の前にくっきりと現れて、世界中の誰からにも取り残され、私の友達はこの部屋に住むゴキブリだけなんだって、そして永遠にこのままだと思うと、本当に嘘みたいに死にたいと思っていたんだ。
今冷静に考えるとあれは自己喪失だったのだと思います。
誰かが創りだした物に依存する事で自分自身を見つけようと必死で、
常にそれに違和感を持ちながらいたから、だからいつもモヤモヤと霧の中だったのです。


今は嘘のようにとても幸せです。
なによりも絵を通しての素敵な友達ができたし、たとえ今でもそれほどお金が無くても幸せなんです。
私は何で絵を描いているのだろう?と思う事もあります。
誰かに認めてもらいたいのだろうか?もちろんそうだと思う。
今だって、こんな底辺であの部屋のゴキブリと同じで、ウロウロしているだけだけど、
それでも何かちょっと変わるのではないかって思ったりしています。


絵を描くのを辞めてしまった人は、描かない事で救われているのでしょうか?
それが幸せならそれでいいと思うし、他にもっと夢中になれる物を見つけたのかもしれないし。
描く事で救われる人もいれば、描く事で辛くなる人もいるのも現実。
その境界線はとてもとても曖昧で、私だっていつかそっち側に行くかもしれません。
そしたらまたあのアパートでただただ朝がくるのを待つ日々を過ごすだけになるのかもしれません。
posted by kyoko at 19:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする