2012年03月10日

押しつけ絆

今、義父母は福島の仮設住宅で生活をしています。
同じ仮設に可愛い小さな子供がいたので義父母はお菓子などをあげていたら、
ある日その子供の両親とお祖母さんが義父母の部屋に上がり込んで来て「お金を貸してほしい」と言ってきて、なかなか帰らないのでお金はきっと返ってこないだろうと思ったけど貸したそうです。
それから義父母はその家族を避けるようになり、その家族は義父母が外から帰ってくる度に駐車場まで子供をつれて出てくるようになったそうです。
確かに色んな所から集まってきた集合住宅、殆どが良い人で皆が皆そうではないけどこんな事も本当にあるんだとびっくりしました。


「テレビの中では絆、絆というけど現実は違う。ここ仮設にいても周りと付き合いは殆どない」
「子供と奥さんは遠くに住んでいて金銭的にもきついし戻って来て欲しいけど子供の事を思うとそうは言えない。離婚した人もいるし絆なんてテレビの中で盛り上がっているだけだ」
「息子さんを亡くした知人にはもう前のように子供の話ができなくなり、今まで仲良かったけど疎遠になってしまった。同じ被災地でも同じ境遇とは限らない。」
等と先日テレビのニュースで福島の仮設住宅にすんでいる人の声が取り上げられていました。

これを聞いて私は何も分かっていなかったと思い知りました。
この偽善臭い「絆」という言葉をそう容易く使うのは間違いなのかしらとも思いました。
私が思うテレビの中で言う「絆」とは「早く復興して欲しい気持ち。」「ボランティアでも寄付でも出来る事は何かしようという行動」を「絆」と言うのだと思ったけど捉え方が違いました。
これは私達側が思う絆でその考えは生温かったのです。


でも正直「絆」って良く分かりませんので意味を辞書で調べてみたら
「人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。」
とあります。
確かに同じ境遇だと親近感がわき強いつながりを感じます。
でも私が相手につながりを感じていても相手がそうは思っていなかったらそれは絆でもないし、
人の心は変わるから、いくら何十年も強い絆で結ばれていると思っていてもほんのちょっとの誤解で簡単に絆は壊れます。
信用出来て初めて絆は生まれるもの。
よく誰かに「私はあなたを信用しているよ」と言うけど、それを口に出したとたん信用した人のエゴになると私は思っています。
「信用している」と言った瞬間、言われた方はその言葉に縛られて生きて行かなければならないから。
本当に信用しているとは、信用している相手に裏切られてもそれでも許す事ができて初めて「信用している」と言え、そこから絆が生まれるのではないかしら。



昔ある男の人から「君とは友達でいたい」と言われた事があります。
若かった私は
「友達って友達になりましょうと言ってなるのではなくて、気がついたら友達になっているものでしょう。
あなたが「友達でいよう」と言った瞬間それはもう友達にもなれないという事だよ。」
と答えた事があります。
「友達でいよう」というのは本当にずるい言葉です。
テレビで言う「絆」もこの「友達でいよう」という言葉と同じ匂いがします。
この「絆」という言葉で悲しむ人もいるという事。
友達にはなれっこないと分かっているのに「友達でいましょう」と言う。
お互い求めている物が違えば絆なんてうまれないし友達にもなれません。


絆とは相手との物理的な距離ではない。
その認識が違うと「絆」という言葉がただの偽善になってしまうのです。
絆も優しさもなんでも押し付けたらそれに苦しむ人がいると言う事を改めて実感しました。
posted by kyoko at 15:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする