2015年05月19日

何度も同じ悲しみは嫌なのよ。

夕べ見た夢は母親と買い物に行ってとても楽しかったのに、その夜に母親が死んだと連絡が入る夢。
私はもの凄く悲しくて泣きながら目覚めたのだけど、窓から入る朝日が鋭く現実の矢となり突き刺してくれて、「あっそうだ。母親はもうとっくの昔に死んだんだ」と気付き、それでも夢の中で体験した悲しみは現実に一度体験しているから悲しみがリアルで、目覚めて暫く心の悲愴はどっしりと残っていて憂鬱になるわけです。
もう2度と同じ悲しみの体験は繰り返したくない、同じ夢は見たくはないわ。
今後これ以上の悲しみはあるのかしら?
などと思っていたらもうすぐ母親の命日なのです。
でもそうして思ったのです。
私が今迄生きてきて沢山の人と出逢ったけど、多分もう一生逢わない人の方が遥かに多いのです。
その逢わない人はこの地球上でちゃんと生きているとしても。
逢わないという事は同じで、違いは生きているが死んでいるかという事だけ。
その違いだけなのだから、人の死って私が死ぬ迄のしばしの別れなんだよね。

母は広い世界を見たかったから、念願だった放浪の旅にでて、たまに手紙でも書いてくれればよいのにそんな事も忘れるくらいきっとその旅は楽しいのでしょう。
私もいつの日か旅にでたいのだけど、まだまだ暫くはその準備ができそうになくて、
でもその旅は本当に一番の楽しみなんだ。
あの時私は、きっと直には逢えないだろうなと思っていたからそれほど驚きはしないよ。
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2015年05月18日

価値観から自由になるために

昔々お付き合いをしていた男性が私が持っているレコードを見て「このレコード全部捨てろよ。ダサいから」と言われて私が大好きなミュージシャンをバカにされたのも悲しいけど、そんな事とやかく言われる筋合いはないと相当頭にきて「あなたとは価値観が違い過ぎるからやっていけないわ!」と言ったら「価値観なんて違うのに決まっている事だ。早く捨てろよ。」と今思い出しても胸くそ悪い事言われ、私は泣きながら友達にレコードを一時保管してくれないかと電話した。
価値観が違うのは分かっているけど、その価値観が不快に思うのなら付き合って行く事は無理なんだ。
でもその男は付き合い始め私の持っているレコードを見て「いい趣味しているね。」と言ったのだけど、あの言葉は嘘だったのか。。。。

なんでこんな事を思い出したかというと、
私は私の事を好きな人が好きだし、私と性格が似ている人が(全くではなくて、思考の方向性が)好きだし、好きな映画や好きな音楽が似ている人が好きで、友達になりたいなと思う人はそういう人がいいとずっと思っていて、今でもそれは変わらない。
そして私にとって一番大切な事は「自由」で、自由な音楽、自由な絵に出逢うと涙がでるほど感動して抱きしめたくなり、私ももっともっと自由に何も恐れずに自由になろうと思う。
全てから解放されて自由になりたいと思う。若い頃は自由とは、好きな時に起きて、好きな時に旅行に行き、好きなときに出かけてなんの束縛もなく帰りたくなったら家に帰るというのが自由だと思っていて、でもその自由は違うと気づき、どんなに時間的に自由がなく束縛されていても心の中はいつだって自由で、何を妄想しようと、どんな考えだろうと、どんな絵を描こうとその自由さえ保たれれば多少の不自由でもやっていけると思うようになった。

でももし私のように自由が一番大切で、同じような価値観の人ばかりだったら世界はどうなるのだろう。
もの凄くつまらない世界になるのではないかしら?発展もしないのではないかしら?個性という言葉さえもなくなるのではないかしらと思うとちょっと怖くなってきた。
そう思うと価値観は人それぞれ違う方が良いし、違っていても好きだったら理解はできなくても尊重する事ができれば友達にもなれるしその方が楽しめる。
そして尊重してもらう為には、私が価値を見いだしたものを全く興味ない人に好きになってもらえなくても、それがなんで素晴らしいかという事を相手に分かってもらえる術が必要で、
それは自由になるためにとても大切な事なのではないかしらと思うのです。
そして私が逆の立場になっても価値観の違う人の言葉を聞き入れるスペースも作り、自分との差を確認はするけど、価値観の違いは悪ではないと思うようにする事が本当の自由なのではと考えていたらあのバカ男の言葉を思い出したという事です。




posted by kyoko at 01:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする