2014年08月11日

夏と忘却

突然いなくなった遠慮知らずで暑苦しい夏。
あまり好きではない夏。
一昨日から台風が接近しているらしくとても夏らしくない日々が続く。
最初は「このままずっといなくなればいいのに」なんて思っていたりしたけど、なぜだか秋がもうすぐやってくるのだと勝手に勘違いした心が寂しがる。
早朝のラジオから「グッド・バイ・マイ・ラブ」が流れてきたたら追い打ちでさらに寂しさが膨張して、脳内で悲しい物語を作り始め、半分寝ている状態でそれを見ているのがとても快楽で寝続けてしまい、目覚めたらもう日曜日の昼で、外の嵐で我に返り寂しさの後はもの凄い嫌悪感に教われる。
そして明日になればまた暑苦しいあいつが戻ってくるんだと思うとうんざりする。

そんな夏だって良い所は沢山あるよ。

洗濯物があっという間に乾く事。
暑さで早起きができる。
私の身体から汗となって毒が飛び散る事。(そして少しは清らかな人になれたらいいのだけど。)
蝉が地上で人生を謳歌出来る事。(もしかしたら蝉は暑い地上なんかに出てきたくなくて「嫌だよ」と泣いているかもしれないけど。)
そして夏が無ければ秋を寂しいなんて思わない事。(私は秋をなんだか寂しがりたいのです。もしかして夏がいなくなって寂しがっているのかもです)

夏はまだ暫く居座る筈。
うんざりもするのだけど、ちょっとだけ安心する。
もし夏がずっといなくなったら最初は寂しいけどいつかはそれに慣れるだろうか?

身近な人が亡くなった時、確かに数年はその人の事を思い度々泣いたりするけど、
もうそのうちそれが当たり前になってくる。
私の場合はお盆や年末などに実家に帰ると駅に母親が車で迎えに来てくれた。
母が亡くなった後に実家に帰ると駅では母の車を探してしまうけど、そこには父の車が待っていて「あ〜そうだ。母はもういないんだ」と気付く。
父が亡くなるとまた暫くは父の車を探してしまうけどそこには兄と姪や甥達が待ってくれていた。
そしてそれが当たり前になり父の車を探す事がなくなるように、一つの季節が無くなっても何十年もたつとその事なんて忘れて、時々年寄りの昔話に出てくるくらいになるのだろうか?

忘れてはいけない事も沢山あるけれど、
馬鹿みたいなくだらなく楽しい事で心を満たして馬鹿みたいに笑って死んでいきたい。
その為には忘れた方が楽な事を忘れるのはそんなに悪くないと思う。
悲しい事も、嫌いと思う事とか憎んでいる事は直に忘れてしまいたい。
忘れるという事は心になにかを埋めてくれる事。
楽しい事を埋められる隙間をつくってくれる事なんだ。


でもやっぱり夏がいなくなったら多分ずっと強烈に心に残っているだろうな。
そう思うと私は夏が好きなのではと思えてきた。





追伸。
なんだかまとまらない文章ですみません。
この前、毎日日記を書こうなんて大口をたたいたくせに3か坊主になってしまいすみません。
多分だれも読んでいないからすみませんといってもむなしいだけだけど。
この前「毎日チェックしてる」と言ってくれた人がいてなんだかとても嬉しかった。
でも多分毎日書く事は私には無理があるので申し訳ない気分でもあります。
書く事がないなと思っても、いざ書き始めるとなにかしら書く事が浮かんでくるので成る可くブログに向かうようにします。
絵も描く事ないと思っても手を動かすとなにかしら描く事が浮かんできます。
浮かばない時もあるけど、動かさなければ浮かばないので成る可く動かし、
なんにもしない時も絵とこのブログの事を考えて生きて行こうと思います。
見てくれてありがとうございます。



posted by kyoko at 02:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする