2014年07月05日

芋虫の未来

いつ迄続くか分からないけど、毎日日記と絵を書いてみようと思った。
日記は日々の出来事を残しておこうと思ったのだけど、日々はただいつもと同じように時間が流れるだけ。
毎日これといった事が起きる訳でもなく、それでもいつか心ときめく日がきて、それを書き留める日がくると思っている。

今日はトウモロコシを買ってきた。茹でようと思い皮を剥いていると芋虫が何匹がニョキニョキ出てきた。
私は小さな悲鳴をあげながら水で流したら芋虫は負けずにシンクにしがみついている。
必死にしがみついている芋虫を見ていたらこの芋虫にだっていつか心ときめく日がくると信じてこうやって力を振り絞りしがみついているのに、なのに私はそれを阻止する事なんてできないと思い、又小さな悲鳴をあげながらティッシュでそっと芋虫をつかみ、外に逃がした。
外は生存競争が厳しい。
鳥に食べられてしまうかもしれない。それでも人間の手で殺されるより、最後に見るのは卑しい私の顔よりも、このどんより曇り空の方がまだましだろう。
頑張って生き伸びてねと心の中でつぶやいた。

posted by kyoko at 23:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月04日

ここから先はリアル

今迄、絵を描いている友達で映画も観ない、小説も読まないという人に何人かあった事がある。
特に映画を観ないというのは、まさか全く観ない人がいるとは!と、ちょっとした衝撃だった。
理由はそれぞれちゃんとあって共通しているのは「本当ではないから」。
一人の子は「演技がダメで、演技していると分かるとさめるし見ていられない」
もう一人は「でもドキュメンタリー映画は好き」と言う。
この映画をみない人生を選んだ人は多分何本かは過去に映画を観たと思うが、その映画がもの凄くつまらなくて自分にあわなかったのだろうか?
私なんて人の創作物に溺れて生きてきた人生で、生きる事の一部ははそういう事と思っている。

ここ最近みた映画では「そこのみにて光輝く」が本当に素晴らしかった。
底辺で生きる人の映画で「うっ、、、お願いだから幸せになって」と強く願いながら観た。
映画は海岸の夕日のシーンで終わる。私にはそれが希望に思えた。

その映画館は地下にあるので見終わって階段を昇り地上に出た瞬間、現実の街の声、眩しい太陽の光が容赦なく入ってくるのだけど、心はまだその映画の中に浸っていいるので、ただ地上に上るのではなく底辺から少し地上に出れたような感じになる。
目の前には昔私がバイトしていたお店の曲がり角がある事に気付き、あの頃の過去の自分が鮮明に蘇ってくる。
それはまるで映画とつながっているようでもあり、私なりに生き方にもがいていた時期だからあの頃の言いようの無い心が蘇ってザワザワしてくる。

映画を見終わると、私の心の中ではそれは物語ではなくなってリアルになる。
映画を観るってそういう事って思う。
それは本当ではない物語だけど、見終わった瞬間の心の中は本当で、観る前には確実に無かったものなのです。
一つ映画を観ると一つ心に今迄無かった何かが生まれる。本当ではない事から本当の何かが。
その何かは形も色も人それぞれ違うけど、それはリアルだよという事を映画を観ない友達に伝えたいと思った。
posted by kyoko at 14:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

天国Twitter

記憶力が悪いのは今に始まった事ではない。
子供の頃から特に暗記というのは苦手だった。脳に欠陥があるのではと思う程、興味が無い事は全く覚えられない。
今はさらに酷くなり、人の顔や名前も、そしてこの前見た映画もドッと滝のように記憶が流れ落ちて行く。
そして思ったのは記憶が流れて行く先に池を作って記憶を貯めておく事はできないかしら?と。
その記憶の池をデジタル変換して記憶の池のコンピュータがあったらいいなと思う。
そのコンピューターに私が生まれてから死ぬ迄の記憶とか趣味や人格など全てインプットしておく。
そしていつでもアクセスして取り出す事ができる。嫌な記憶は速攻削除しておくことを忘れない。
そのコンピューターはいわば私自身。仮に私が死んでも私の人格をもったコンピュータは私が言いそうな事を言うし、昔の思い出を語ったりする。

死んでからの私のコンピュータは必要ないけれど、母親のコンピュータはあったらいいなと思う。
今でも時々母親と話したくなる。
特別マザコンというわけではない。むしろ親離れ、子離れしていた関係性だった。
上京して1年位は母からも電話はなければ私からも電話をかけたりもしなかった。
母親とは仲が悪いとか喧嘩しているという分けでもなかったけど、私にとってはそうしてくれる方がとても楽だった。
若い頃はそうやってあまり親と関係持たない事がなんだかカッコいいと思っていたのかもしれない。
そんな親不孝な事をして母親にはとても悪いなとずっと思っていた。
今更になって母親に聞きたい事や話したい事が沢山ある。

だからこの母親のコンピューターがあったらいいなと思う。
そのコンピュータで天国Twitterができるようになっていたら尚よい。
母からのつぶやきは「三途の川なう」とか「地獄ツアーなう」
閻魔さまとのツーショット写真がアップされている。地獄で笑顔でピースサインなんてイカしている。
この天国twitterで母親に聞きたい事は「母親の人生は幸せだったのだろうか?」
そしてもう一つ、子供の頃スナック菓子を食べている私に「そのお菓子の袋に鼻くそいれたからね」と言っていたけど、あれは本当なのか?
とにかくこの2つだけを聞きたい。
posted by kyoko at 14:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月02日

ありのままって何ですか?

外から小学生の合唱が聞こえる。
ここ毎日「ありのままに〜」と今とても流行っている例の歌が聞こえてくる。
子供達は何にも考えないで歌っているけど、私は「君達はそんなに抑圧されているの?」とふと思ってしまう。
この映画を見た事無いし、何を意味して「ありのまま」って言っているのか分からないけど、仮に私がありのままに生きたらとんでもない事になってしまいますよ・・・と少し苦笑い気味に思う。
「ありのまま」とか「自分らしく」とか「自然体」という言葉は聞こえはいいけど、本当のところ私には良く分からない。
子供の頃から常に普通でありたいと思っていた。
人と同じように、思い考え行動する。それが孤独にならない事だと何となく思っていた。
でもその反面、中学生頃になると学校で流行っている皆が「良い」という物に同意しない自分もいた。
普通でありたい、浮いた存在になりたくないと思っているのに矛盾している。

孤独になりたくなければ、大多数と同じ考えでいるのが大切なんだ。
「ありのまま」になるには孤独に耐えられる精神が必要なのではと思う。
そして孤独である人はカッコいいとも思うのです。

「ありのまま」を推奨するならもっと世の中が変わらなくてはダメなような気がします。
まず最初に「友達100人つくるんだ」という歌を即刻廃止するべきです。
ありのままの自分を100人の人が受け入れてくれる訳ないのだから。

たかが子供達の歌声でそんな事を思ったので書き留めてみました。


posted by kyoko at 14:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする