2013年04月11日

心地いい混乱

今年一番の楽しみはレオス・カラックス監督の映画「ホーリー・モーターズ」。
先日ユーロスペースにて見てきました。最近はこの映画館に足しげく通っています。
そしてこの映画は凄かったです!主人公の男が一晩にいくつかの人の人生を演じるという内容なのですが、
説明もなんにもなく乱暴に狂気的にずんずんと物語は進んでいくので、私は「どういう事?」と混乱していきます。でもこの混乱が私は大好きで心地よいのです。
混乱しながらも一人一人の役が謎めいていて、とても面白いので吸い込まれるように見入ってしまうのです。
初めは理解しよう、答えがあるかもと思って見てしまうけど、理解しようなんて思わずに感覚だけで捉え、思考を委ねる感じで見るとすいすいと泳ぐように見る事ができました。

私も常日頃色んな人の人生に憑依したいと思っているし、他人の事は理解しようとは思わずに妄想憑依しようとお心がけています。
それは時には現実逃避となってしまって自分の世界に着地する事ができなくなる事もあります。
こんな事ばかりを繰り返すと妄想憑依と現実の自分とどっちが虚構なのか分からなくなってしまい、混乱します。でもこれも心地よい混乱なのです。


同じく、レオス・カラックス監督の「汚れた血」という映画が何よりも大好きで、もう何度も見ているのだけどその度ドキドキして、発狂してラストには涙します。この映画の事を考えるだけで恋をしたかのように胸が高まり17歳の頃に戻れてしまうのです。
この映画のラストは本当にとっても素晴らしくて、私の見た映画の中でも一番ではないかとも思うのです。
posted by kyoko at 14:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月09日

描くという事で思った事

知り合いの、とはいっても私が一方的に知っているセツで知り合った女性の方の絵が好きでした。
何年か前までは精力的に活動をしていたのだけど、ここ数年この方のブログは更新されず、新しい絵も載せていないし展示もしていないので今は絵を描いていないのかしら?
たびたび思い出し少しだけ気にはなっている方。どうしいるかなってそういう人が数人います。


先日、絵描き友達と話していた時、彼女は「絵を描いていて良かった。凄く救われている。どんな時でも絵は直ぐ隣にいてくれる。まだ絵を描いていなかった頃は苦しくてしょうがなかった。音楽も映画も好きで沢山インプットしてきたけど、自分は何も出していない。それが辛くて苦しくてしょうがなかった」と言っていたのがとても心に残っています。
なぜなら私も全く同じだったのでとても気持ちが分かるからです。

20代の頃私は絵を描いていませんでした。
音楽、映画、小説、マンガ、そしてもちろん絵を見るのも好きでした。
同じような趣味の友達と過ごし、人が創った物を見ては一緒に感動していました。
その友達はそれだけで人生満足で、それが全てだと言っていました。
私は違うと、何でか分からないけど私はなんか違うとずっと思っていました。
だけど、私もその友達と同じように、これで満足だと思い込ませていた。
何かが違うと頭の片隅にはあったけど、「一体私に何が出来るのだろうか?」と思うとそう思い込ませなければ辛くてしょうがなかったのです。
ずーっとそうやって人の創った物を待つ受け身な人生でいいんだって。


あの頃は本当に霧の中を歩んでいるようでした。いつも目の前はモヤモヤと視界も聴覚も曇っていて、生きているのか死んでいるのか分からないほど、あの頃の記憶もあまり無いのです。
いつも「死にたい」と思っていました。
狭いアパートに夜の闇がやってくると、孤独と貧困の輪郭が目の前にくっきりと現れて、世界中の誰からにも取り残され、私の友達はこの部屋に住むゴキブリだけなんだって、そして永遠にこのままだと思うと、本当に嘘みたいに死にたいと思っていたんだ。
今冷静に考えるとあれは自己喪失だったのだと思います。
誰かが創りだした物に依存する事で自分自身を見つけようと必死で、
常にそれに違和感を持ちながらいたから、だからいつもモヤモヤと霧の中だったのです。


今は嘘のようにとても幸せです。
なによりも絵を通しての素敵な友達ができたし、たとえ今でもそれほどお金が無くても幸せなんです。
私は何で絵を描いているのだろう?と思う事もあります。
誰かに認めてもらいたいのだろうか?もちろんそうだと思う。
今だって、こんな底辺であの部屋のゴキブリと同じで、ウロウロしているだけだけど、
それでも何かちょっと変わるのではないかって思ったりしています。


絵を描くのを辞めてしまった人は、描かない事で救われているのでしょうか?
それが幸せならそれでいいと思うし、他にもっと夢中になれる物を見つけたのかもしれないし。
描く事で救われる人もいれば、描く事で辛くなる人もいるのも現実。
その境界線はとてもとても曖昧で、私だっていつかそっち側に行くかもしれません。
そしたらまたあのアパートでただただ朝がくるのを待つ日々を過ごすだけになるのかもしれません。
posted by kyoko at 19:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月01日

春はあまり好きではなかったりするけど、やっぱり本当は好きです。

巷ではおき楽な嘘をついてちょっとばかり人を脅かしてみたり、
テレビでは入社式の映像ばかりで「これから新しく始まります」などとニュースで見たり、こんな光景は落ち込んでいる時に見ると更に落ち込みます。
桜が咲いて、近所の猫も外で楽しそうに遊んでいて、ベランダのビオラちゃんも太陽の方ばかり見つめて、何もかもこんなに新しいのに、キラキラしているのに、現実を見たら私は古くなっていくばかりで薄ぼんやりの影だけを落としただただ黄昏れていくばかりでもう本当に嫌になっちゃう。
でもせめて良い事だけはしようと思い外に出て、この混沌とした町で私は良い事おばさんになろうと誓い、早速駆け足で駅に向かい券売機の前に今日迄の回数券を一枚置き、これを誰かが発見して使ってくれたら、その人はラッキーと思い笑顔になり、小さな幸せを分けてあげられるわと思うと私も笑顔になれました。

そしてさらに町内を歩いているといつも見かける車椅子にのった不良小人さんが、楽しそうにコンビニの前でワンカップの日本酒を片手に仲間と談笑をしていました。
この不良小人さんはいつも町をウロウロしていて、そして楽しそうに誰かと話しているのをよく見かけます。
それを見る度に私も楽しくなり、私はこの方が大好きで、そしてこの混沌とした町が大好きです。
外を徘徊してとても楽しい気分になりました。春には外に出てみるものだな〜と思いました。

そして心機一転、無理矢理にでも新しくなるように前向きに頑張っていこうと思いました。

posted by kyoko at 19:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする