2012年07月29日

展示とミヤケンとニシケン

Tambourin Gallery Presents/ロバミュージアム 2012
2012_7/31(火)〜8/12(日)<8/6月曜日休>

に参加します。
名前は「弘田ひろえ」で参加します。
なぜこんな名前かというと、たじまひろえさんとの合体したからです。
こういうのをユニットと言うのでしょうか?
このユニットという言葉に何だか気恥ずかしさを感じてしまいます。
同じ画面に描くというのはどうにも遠慮してしまいがちですが、それを乗り越え面白い作品が出来ました。
参加者は錚々たる顔ぶれですのでとても楽しみです。
とても面白い展示だと思いますのでお近くに来た際には是非お立ち寄り下さい。



最近は、部屋の気温が37度を超えるとどうにもこうにもじっとしていられず、汗をダラダラ垂らしながら朦朧としてなんにも手につかないので暇がある時はお昼過ぎあたりから図書館で2時間程過ごすのが日課となりつつあります。
本はそんなに読む方ではないですが図書館だと涼しさも相まってとても集中して読めます。
先日は西村賢太さんの『苦役列車』を読んできました。
噂では聴いていたのでどんなダメ人間ぷりが描かれているのかしらと、私よりダメなら見下してやろうくらいに思い期待して読んでみたものの、予想に反してそれ程ダメ人間ではなく、私にはとてもたくましく感じられました。
性犯罪者の父親を持ち、中卒で一人暮らしをして日雇いで生計を立て15で風俗通い、酒をくらい貧乏卑屈で人に絡み妬み恨み・・・・だけど10代なんて自分が何者かも分からないし、夢なんてなくて当たり前だし、私には好感とは言わないけどある種の親しみににた感情が芽生えました。
それと人の母となってもよい歳の私のありあまった母性のせいかもしれませんが、この主人公の行動が可愛くも思えました。
しかも読んでいるうちに彼の行動におかしみが湧いてくるのだから、
なんだかんだ言って私は卑屈でも自分の中の毒を面白く放出している人が好きなんだなと思います。


そして最近ちょこっと読んだのが宮沢賢治。
宮沢賢治は確か小学校の頃「よだかの星」を読んだのだけどあまりハマりませんでした。
だけど先日、お友達の南さんに「グスコーブドリの伝記」の試写にさそってもらってとても興味をもちポッドキャストで宮沢賢治の作品を聴いていました。
宮沢賢治は自己犠牲精神、宇宙全体の幸せを願う人で常に誰かの幸いの為に何ができるだろうと考えている聖人君子のような人に感じました。
そして「よだかの星」を改めてよんだのだけどこれは酷い。
外見が醜い鳥だと仲間の鳥にはバカにされ嫌われているよだか。
しかもとても衝撃だったのは自分が生きる為に沢山の虫を食べる事を嫌悪し、虫を食べるときの喉元のカシャカシャという感触にも嫌悪する。
そして絶望し星になりたいと願い夜空を飛びまわりやっと星になれる。
そう、この話は自己犠牲ではなく自己否定の話ではないかしら。
何でこんなに自虐的なの?一体何を伝えたいのかさっぱり分からない。
なんで一番純粋で優しい鳥が醜いが為に虐められて星にならなけらばいけないの?
それだったらせめて最後に「本当に心の美しい鳥しか星にはなれません」というのを付け加えて欲しいです。雨ニモマケズだかなんだか知らないけど、可哀想すぎる。
それに読んでいると賢治もちょいちょい毒を吐く。
よだかの事を「醜い鳥」といいきるのも賢治、悪い奴だな〜と思ったし、
「あの人はバカなのではないだろうか」とかちょっとバカにしたような、自分が優れているような事が描かれているのもある。
だけど後になって「あの人の幸いの為に何ができるのだろうか?」と言い出す。
自虐的だったり、人を見下したり、賢治はもしかして心がかなり不安定なのかしら?


名前に同じ「賢」がつくけど先ほどの西村賢太さんとはかけ離れている二人。
しかも西村賢太さんの方が宮沢賢治よりマトモでちゃんと地に足をつけ生きているように感じます。
でもそれだけ宮沢賢治の人格はとても興味深く、他の本も読んで読み解いてみたいとも思います。



posted by kyoko at 20:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月07日

音の鍵

過ぎ去った日々の写真を見ると胸がザワザワするのは何でだろう。
この風景は変わらず今もあるのに、写真の中の人はもういなかったり、
きっともう一生逢う事はなかったりするから
私は記憶の中のその人を探します。
頭の中の普段は触れない場所に小さな虫が入り込んで、
痒くてたまらないから、
その虫を探すように、
私は形のない欠片の姿を探している。
そんな日々が最近続いているのはきっと雨音のせいだと思います。
ノスタルジアが遠慮なしに襲って来て、夜中に急に目がさめて
もの悲しさに心が染まってしまう。
それは大抵が知らないうちに雨が降っている夜なのです。
私だけがそうなのかは分かりませんが、
雨音は何か心に作用するそんな力があるような気がします。

音というのは不思議で、瞬間に消えてしまうのだけど、
昔良く聴いていた曲が流れてくるとその時の何気ない光景が脳裏に映し出されます。
それは昔住んでいたアパートでチャーハンを食べている光景だったり、
昔よく遊んだ友達の笑い顔だったり、
大嫌いだけど、それでも好きだった人だったり。
音が小さな箱の鍵をカチャと開けて
僅かに空いた隙間から光が一直線に飛び出してきて
パラパラとその頃の映像を映し出します。

今私がこうしている時の音も、
今この瞬間の光景に仲良くひっついて
せっせと箱に閉じ込めて記憶と混じりあっています。


posted by kyoko at 20:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする